16.ラディアドル国





【途切れた物語】016



「嘘よ、嘘よね……っ!」

イメラは反発してくる力に魔力をねじ込ませて、ディバルンバへ、ロイの家の前へ転移する。動揺していたせいか着地に失敗してよろめく。踏ん張って顔を上げたイメラは眼を見開いて硬直した。記憶にあるものと随分様変わりしていた。小さく素朴な家ながらも手入れがされていたロイの家は、まるで誰も使っていないかのように苔や植物が這いえていて、蔦が絡まっている。開け放たれた窓から、ボロボロになっているカーテンがゆらゆら揺れている。ドアは何故か、蹴破られたような跡があって、閉まっている割には意味を成さない。

「嫌、そんな」

静かすぎる空間には自分の心臓の音しか聞こえない。何故村の皆の声が聞こえないのだろう。震えながら後退し、ついにイメラはよろめきながら走り出す。つまずいて転び、けれど這い蹲りながら前へ進み、丘の先にまで来た。

昔は丘の上からよく村を見渡した。村を出る時だって、見た。だから景色がどんなものかよく覚えている。リヒトくんたちが走り回り、大人たちが笑い、食事の煙があがる、そんな長閑な光景だった。

なのに何故、誰もいないの。何故、なにもないの。

丘から見えるのは野原で、木でできていた家は見当たらない。気が狂いそうになりながらイメラは立ち上がる。その顔は蒼白で眼は空ろだ。もう、狂っているのかもしれない。

「メアリーさん、ランダー、リヒトくん──」

小さい声で村の人間の名前を呼び続けるイメラは丘を下りて村を間近に見たとき、絶望に、笑った。震える歪な口元が、よかった、と呟く。

……なにもないように見えたけれどちゃんと村はあった。崩壊したり半壊している家に植物が根付いて家を隠していただけだった。井戸も壊れて形を成していないだけで──ああ、よかった。皆いた。長く伸びる葉っぱに真っ白な身体は隠れていて、静かに横たわっていた。

「あ゛、はは」

近づけば、折り重なるようにしていくつかの頭蓋骨があった。大きいものもあれば小さいものもある。昨日今日のものじゃないらしい。骸は全て白骨化していて、土の染みや草が絡まっている。空洞に這い回る虫をよけながら頭蓋骨を持ち上げる。

「1、2、3──7」

動物が啄ばんで運んだのか、ここに重なっているだけじゃ村の皆の数には足らない。

「探さない、と。あそこにまい、埋葬、しなきゃ」

ドレスの端をつまんでたるませた生地の合間に大事に骸を重ねる。小さな村だ。すぐに残りの皆も見つかった。重なった骸から少し離れた場所に、入り口近くに、森の近くに、あった。太陽がジリジリと照って、汗が流れてくる。異様に喉が渇いて身体が震える。

本当はもう1人、足りない。

ガラガラと手元で喋る皆を落とさないように魔力で覆いながら丘を登る。久しぶりに人が通ったためか、葉や土が踏まれ抉れた地面を踏み来た道を戻る。汗がぽたりと落ちていく。家の前に来て、止まる。空いた穴から見えた先にはなにも見えなかった。そう、きっとそう。

なんとか片手でドアを開ける。懐かしい空間だった。所々に面影が残っているような、そんな場所になっていた。気のせいじゃなければ、あの日、この村を出たときに用意した食事を入れた器が、欠けて転がっている。

「よか、った。生きてる、かも、しれない、わ。そ、そうよ、生きているわ」

二階にあがってみてもロイは、骸はなかった。僅かな期待が生まれる。もしかしたらロイだけは生き延びてくれたのかもしれない。震える手を握り締め、皆を落とさないよう注意しながら森に入った。

──あの村で誰かが死ねば俺たちは骨を持ってここに埋めに来る。最期はここに還れるんだ。

そうランダーが言っていた。ナナシの村へ、焦がれた神聖な場所へディバルンバの村の人たちを還さないと。そうすれば、きっと、寂しくない。

道は身体が覚えていて、すんなり辿り着けた。思い出したように光が生まれるその場所は、暗い世界を一気に明るくして、美しい湖を輝かせている。白いラシュラルの花が彩りを加え、甘い香りを運んでくる。なぜかここだけは荒れることなく、昔の記憶そのまま。その光景に安心する。ここにも、ロイはいなかった。

いつのまにか履物はなくなっていた。枝や石を踏み足元は傷だらけになっている。装飾は少ないながらも豪華な造りのドレスは泥で汚れていた。20を超える骸を抱くイメラは空ろな瞳で、美しい金の髪は森の木々に引っかかって切れたのか乱れている。

「少し、待っていてちょうだい、皆」

骸を地に置き、イメラはラシュラルの花が咲き乱れる場所のすぐ近くに穴を掘り始める。リアンナが、肌が綺麗で羨ましいと言ったイメラの肌はすぐに泥を被って傷を作っていく。爪がわれ、肉に石が食い込み裂ける。血はすぐに茶色に濁った。

「ごめんなさいね、一人ひとり作ってあげられなくて。でも、皆、一緒で、だから」

言葉が続かず、イメラは歯を食いしばりながら骸を穴に一つ一ついれていく。もう誰が誰だか分からない。分からないのだ。名前を呼ぶことも出来ず、代わりに一人ひとり村の皆を思い出しながら埋めていく。茶色の地面は白く埋まり、ラシュラルの花のようだ。眼に焼き付けて、砂を掻き集めながらかけていく。消せない嗚咽が静かに木霊する。もう、白は見えず、でこぼこの茶色しか見えない。森から見つけてきた石をひきずって、ようやく、乗せれた。

真正面にある石はなにも喋らない。当然だ。塚なんてものは残された者の自分勝手な行為で、自分の気持ちの整理の為でしかない。命は死ねばそれまでで、それからどうなるわけでもないのだ。確かに過去いた存在はもういない。消えてしまった。この石に見出そうとしても無意味なのだ。

それでもイメラは蹲って泣き声をあげる。地面に擦れた額に小石が痛みを植えつける。爪に食い込んだ土を見ながら、イメラは泣き続ける。

……どうしてこうなったのだろう。なにがあったのだろう。なにが。

きっと村は襲われた。何らかの理由で脅されでもしたのか、一箇所に集められて、そして、殺された。犯人は何故こんな隠された小さな村を襲って皆殺しにしたのか、どうやって辿り着けたのか。もしやロイたちが今まで略奪を行っていた人たちがここの存在に気がつき襲ってきたのだろうか。でもそれなら、村の男達が黙ってない。ロイもランダーも魔法を使って応戦するだろう。けれどそうはならなかった。まるで見せしめのような殺され方をした原因に繋がるんだろうか。ロイやランダーたちがいないときを狙った?分からない。けれど。

──はっとして、イメラは立ち上がる。

それでも、一瞬迷うように視線を泳がせ、けれど、走り出す。そこは湖で、美しい、場所。なにかが、見えた。イメラは息を吸い込むと湖に飛び込む。冷たい水が身体を覆って体温を奪っていく。透き通った湖には遺跡が腐食もせず形を留めていて変わらない。何かを置いていただろう祠に、人々を象った大小さまざまな石造が水底一面に並んでいる。祠に続く石段の上にはひときわ目立つ衣装を身にまとった男が、眼下に並ぶ人たちの声なき声に応えるように両手を広げている。変わらないそこに見つけたのは、斑に茶色に変色した骸だった。

分かっていた。分かっていた……っ!

もしロイが生きていたなら必ず村の皆を埋葬する。そうされていなかったのは──死んでいたから。

泳いで、必死に手を伸ばす。邪魔な水を消したいと想っていたのが願ったのか、湖の中にも関わらず水のない空間に出た指先から水が滴り、次いで身体も水のない空間に落ちる。魔法を使い難なく着地し、可笑しなことに乾ききっている石畳を走ってロイの傍に行く。ほかの事はどうでもよかった。濡れたドレスが重く、まとわりついて落ちていく水か涙か分からないものが鬱陶しい。階段をあがって、その途中に、横たわっていたロイの傍にたどり着く。

「どうして、ここに、いるのよ」

殺されて、湖に放り投げられた?あなた、そこらへんの奴よりは強いとか言っていなかった?なんでこんなところで寝ているのよ。

波立たない湖のお陰なのか、骨は少しは位置がずれているだろうが、綺麗に、おそらく欠けることなくある。

骨になっちゃったら、誰が誰だか分からないじゃない。

でも。

「あなた、なんでしょうね。きっと」

もしかしたらランダーかもしれないし、もしかしたらまるで関係のない旅人かもしれない。でも、変なことにあなただって確信があるのよ。折り重なる死体の山、その少し離れた場所にあった一際小さな骨。おそらく子供達の誰かが人質にされたのだろう。あなたはそのとき村にじゃなくここにいた。いつもこの場所に来るのはロイかランダーで2人で来ることはない。逃げようとした人たちも全員殺されて、その後か前にあなたは殺された。

あなたは旅人のことを恐れていた。

村の皆を傷つけるかもしれないことを怖がっていた。だからでしょうね。きっとあなたは死ぬときディバルンバに守りの魔法をかけたのね。転移するときに膨大な魔力を注ぎ込んだにもかかわらず、すぐにはロイの家に飛べなかった。

村人以外が誰ももう村に踏み入られないようにしたのね。この場所にはあなたの魔力の名残がいまだ感じられる。……特に、あなたから。

イメラは骸の前にしゃがみ込んで手を伸ばす。そおっと触れたにも関わらず、頭蓋骨についていた骨がとれカラカラと音をたてて落ちる。イメラはぼおっと暗い空洞のある頭蓋骨を両手に持ちながら視線を合わす。

「ロイ……」

優しく、優しく抱きこむ。頬をあわせてもの言わぬロイを壊さないように力を入れて抱きしめた。

──お前なら、いい

そう言ったあなたの言葉に励まされて、いつか村を出ざるをえない日が来るだろう自分のために、いつでも帰れるようにとあなたの家に文様をつけた。現に文様があると思えば今まで頑張ってこられた。あなたが休めて笑える世界を造りたくて、だから、戒めにロイの名前を文様発動のキーワードにした。ロイと言わなければ転移できないように、した。だから呼びたくても呼びたくてもずっと口にはせず、今まで生きてきた。

馬鹿だ。もっと、もっと早く呼べばよかった。すぐに戻った私に呆れられてでも一緒に居たいんだってすがりつけばよかった。軽蔑されても王族なんてどうでもいいって、他の人もどうでもいいって言えばよかった。なによりもこの村の皆が、ロイが大事で、一緒に生きたいんだって言えばよかった。

「汝、なにを望む。骸を手に何を望む」

一瞬、ロイが応えてくれたのかと思った。けれど突然響いた声は懐かしい声ではない。軋む首を動かして声のするほうを見上げれば、石段の上に立つ人の石造が見えた。

何を望む。ナニヲノゾム。

意味を成さない言葉は砕けてばらばらになる。望みなんて消え失せてしまった。なにも残ってはいない。何を望む。何を──ふと、手に抱く頭蓋骨が見える。

「ここで、ディバルンバでなにがあったの。教えて頂戴」

なぜ、湖の中に突如こんな空間が現れたのかも、石造から声が聞こえたのかもどうでもいい。知りたいのは、なぜ、ディバルンバの皆は殺されたのか。望みは、それだ。

「汝、なにを望む」

なのに石造は壊れたかのように同じことを言う。そんなものは望んでいない。

「教えなさいっ!なにがあったの!なにが、なにが起きたのよっ!なぜディバルンバの皆は殺されてしまったの!?ロイはなんで殺されたのよ……っ」

悲鳴に涙がのって落ちていく。

「殺してやる、殺してやる……っ!望みはディバルンバの皆を!ロイを殺した奴ら全員殺してやることよ!!許さない……!絶対に許さないわっ!あ゛ーー」

髪を振り乱して叫ぶイメラを石造は無言で見下ろしてる。イメラも答えを石造には求めていなかったのか啜り泣きながら蹲る。

「……汝願いし言葉、確かに聞き入れた。契りを」

「殺してやる。殺してやる」

静かな声にイメラは反応しないまま骸を抱きながら泣き続ける。空間に穴が空いて水が入ってくる。一つ二つと空いた穴はどんどん大きくなっていき水で埋まっていく。世界を壊そうとする大きな水音は、石段の下で空へ請うように手を伸ばす人の叫び声のように響き渡る。イメラは身体から揺らめく魔力を押しつぶして転移した。石段の上に在る石造は、まるで泣いているかのように水を瞳から落とし、世界が水で埋まっていく姿を見届けた。

私がディバルンバにいた時間は短い時間だった。

けれど、だからこそ一日一日を2年が経ったいまでも鮮明に覚えている。特にロイと過ごした時間のことはよく覚えている。焦がれて焦がれて、何度も記憶を頼りに想った。

低い声、傷跡だらけの手、無造作に縛った髪、微笑む優しい表情、子供みたいなところ、日焼けした肌、ぶっきらぼうな言葉、熱い体温、悲しさを堪えて村を守ろうと歩き続ける姿。略奪から帰ってくるときはいつも心沈んでいて、けれどそれを生業とすると決めたくせに嘆くのは違うと歯を噛み締めて、そして村の人間とも距離をとっていた。村のリーダーのような存在で慕われてリヒトくんたちとも遊んで、そのときばかりは笑っていた。聖なる場所によく行くからか、身体からはラシュラルの甘い香りがしている。鳥料理には嬉しそうにかじりついて、根野菜の料理には隠れて眉を寄せていて──眼を閉じれば、ほら、簡単に思い描けるのよ。こんなにも鮮明に、姿かたちも、声も、匂いも、体温も思い出せるのよ。

なのになぜ、いま私の手の中、ロイは骸になっているのだろう。

最近ようやく見慣れた城の謁見の間にはあの人たちはいなかった。空の玉座を見下ろす。豪華に造られ、謁見を請う者を見下ろすために高く位置する、つまらない見栄や驕り欲と猜疑心、不安がつぎ込まれた場所。

「イ、イグリティアラ様……?」

数人の兵士がいた。そういえばここには常時兵を置いていたっけ。ぼんやり考えていれば物々しい音を立てて扉が開く。見れば会いたかった人たちが進んでこっちに向かってきてくださるではないか。

「ええい、なにをしておる!早く追跡する」

「お父様」

怒鳴り散らす声とはうってかわって静かな声が響く。皇帝はビクリと身体を震わせ足を止めた。皇后は恐れおののき後退する。

「ひどいですわ。娘にそのような反応をされるなんて。しかも追跡だなんて……」

「お、お前その格好、それにその骨は」

「あら。そういえばまだ紹介したことありませんでしたわね。ロイっていうの。私がこの城を出たときにお世話になっていた人よ。ふふ、そう。そう」

なにが可笑しいのかイメラは笑う。瞳から流れ続ける涙がドレスについた泥に混ざって絨毯に落ちる。全身濡れているのか進むたびにグジョリと嫌な音がした。異常な雰囲気に皇帝皇后はおろか兵士達もなにもできず立ち尽くす。

「どういうことでしょう、お父様、お母様」

開け放したままだった扉から遅れた兵士達が謁見の間に入ってくる。しかし、イメラを見つけその姿に瞠目し、やはり動けなくなる。鈍い音が聞こえてイメラが視線を動かすと、さっと人ごみが割れる。イメラの目に映ったのは肖像画と日記だ。それに、ああ。ラシュラルの花だ。

イメラは様々な視線をものともせず歩み寄り皇帝皇后も無視してラシュラルの花をとる。潰されていたラシュラルは手に取るとはらりと花びらが散る。数枚になったラシュラルをロイと一緒に抱きながら顔を起こすと、これを機としたのか扉から離れ玉座の近くに回った皇帝皇后を守るように兵士たちがイメラの前に立ちはだかっていた。イメラは首を傾げる。そんなイメラに恐怖を抱くものや妖しい美しさを覚えるものがいたが、すべてに言えるのは魅入られていて、頭の隅で逃げられないことを悟っている。

「答えてください」

「な、なにを、言っている」

「イグリティアラ様!ふ、不敬ですよ!皇帝陛下に、なんて、ヒッ」

視線が合った臣下は悲鳴をあげて蹲る。震える声が聞こえた。皇后だ。

「イ、イグ!あなた、は、早くソレを置いて、そ、そうよ。頭を冷やしなさい」

「出直してくるんだ。……っ!」

普段は皇帝皇后としてその玉座に座り、淡々と民の悲鳴を聞き流しているのに、いまではどうだろう。隙を見て攻撃を仕掛けてきた宮廷魔術師を3人吹き飛ばして、後は面倒だから兵士全員に魔法で動けないよう拘束した。皇帝皇后は仲良くよりそいながらイメラから距離をとろうとしている。

「答えてください」

恐怖が限界に達したのだろう。皇帝は常では考えられないほどに狼狽した姿を見せ、イメラの姿を消すように手を振り、女のように甲高い悲鳴を上げながら叫ぶ。

「近づくなこの化け物が!忌々しい化け物よっ!ようやくあの丘に行かなくなりあの村のことを諦めたと思いこちらから折れてやったものをっ!いつまでもその力を振りかざし高みから我らを見下す!」

無表情に見下ろしてくるイメラに皇帝は一瞬震えたが、その腕に抱く骸を見ると口元を歪ませる。皇后が血の気のない顔を左右に振ったが、皇帝の目には映らない。

「なんとまあ、その男の無様な姿よ。お前のような化け物をあのような廃れた村に隠しておったこともさながら、軍隊に歯向かいよって!報告は聞いたか?あの不穏物資の塊のような輩を皆殺しにしてやったと言ったときの男の愚かな行動よ……っ!その光景を見せたときその男は泣きながら自殺しよった!はは、はははははっ」

ああ、そうか。

道理でロイがあの守りの魔法を使えた訳だ。ロイの魔力量じゃ、私の魔力に対抗するほどの守りの魔法はかけられない。全部使い切って、死んじゃったのね。

「なにをしておる!さっさとこの女を捕まえぬかっ!宮廷魔術師!魔封じを施せっ!気が狂っても構わん!とりあえず生きておればどうとでもなるっ!!」

「そ、そんな」

「我が命に背くか!?なにをしておる役立たずどもめがっ!どけっ!!」

皇帝皇后と違い魔法で動きを封じられている兵を足蹴りし、剣を抜き取った皇帝がイメラに向かって走る。イメラは力なく笑った。

「もう疲れたわ」

──その日、ラディアドルという大国が跡形もなく消え去った。


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