14.明日を想う





【途切れた物語】014



「イグリティアラ様ー!またここに来ていたんですねー!!あんなに1人で出歩かないでくださいってお願いしましたのに!」

「ごめんなさいね。つい」

「ついじゃありません!」

イメラは頬を膨らませる侍女に苦笑を浮かべる。皇女としてこの国ラディアドルに戻った日からずっと世話をしてくれた侍女、リアンナは最初こそ堅苦しい敬語を使い他人行儀のぎこちない、まあ、侍女の鏡のような存在だったのだが、共に日を過ごすうちに随分砕けた対応をしてくれるようになり親身になってくれるようになった。それは嬉しいのだが小言も多くなったように思う。

「でももう大丈夫よ。もうここには来ないから」

「……え?ど、どうしてですか?」

「いい加減、しがみついててもしょうがないからよ」

国を出て自由に胸震えたこの丘は、世界の様々な姿を見る最初の場所だった。盗賊、犯罪、繁栄、喜び、妬み、活気、死、笑顔、情、涙──たくさんのものを見た。美しいものも残酷なものもすべて。

……この丘の向こうはディバルンバに繋がっている。私なら魔の森も問題なく村に辿りつけられる。いまもまだ思い出せる村に住む皆の顔。リヒトくんたちはいまも村の端から端を走り回っていることだろう。メアリーさんはたまに怒って、でもすぐに楽しそうに笑う。村長さんや村人もそんな光景に笑うの。朝早くにおきてご飯の支度をして、畑を耕して、長閑に流れる時間に身を任せながら会話をして、川へ洗濯をし、帰りがけには果物を取って食卓に添える。そして、愛しい人と笑う。

「もう、2年なのね」

「イグリティアラ様が戻ってからですか?私、いまでもあの日のことたまに夢に見ますよ。まるで御伽噺のような出来事でしたから」

「御伽噺ねえ。まあ、夢のようなものだったわ」

「初めてお姿を拝見したとき女神様が光臨したのかと思いましたわ!しかもなんと今までずっと姿をさらさなかった皇女様なんですから、もう、私失神しそうでした。まさかそんな凄い方の侍女になるなんて夢にも思いませんでしたし」

「あなた初めて会ったとき声裏返っていたわよねえ」

「そ、それはお忘れくださいと申しましたのに」

「うふふ」

リアンナは前を歩くイメラのあとを小走りに追いかけながらその時のことを思い出す。ざわめきだつ城下町の人間で溢れかえる噴水広場では祭りのように様々な音で溢れかえっていて、城内に居ても分かるほどだった。はしたないとは思いつつも窓から外を窺い見れば、遠めにも輝く絶世の美女がいた。しかも今の今まで鳴り響いていた様々な音が消えて静まり返ったとき、美女の前に物々しい雰囲気を持つ兵隊たちが現れる。しかし美女は怯まず、あろうことか兵長から伸ばされた手を振り払い自分よりも大きい男を投げ飛ばした。言葉を失って、ただただ美女を見ていると、美女が叫ぶのだ。聞き間違いでなければ──自分が第一皇女だと、あの、隠れ姫だというのだ。

第一皇女でありながら公の場に一切姿を現さず、存在だけは記されていた隠れ姫。存在していることを知っていて眼にできるのは限られた人間のみで、その存在については緘口令までひかれている。存在することは確からしいが、見たことがなかった存在。民に至っては第一皇女がおわすことさえ知らない者もいたのではないだろうか。

「……よいのですか?口うるさく申してはおりますが、ここに来られる時間はありますよ」

「いいのよ。もう2年が経つというのに、私はまだなにも変えられていないし」

「そんなことはございません!イグリティアラ様がいらしてからこの国は大きく変わりました!いままで見てみぬふりであったこの国の影を直視して正しくしてくださいました。捨て子も、肥える貴族の家の裏で飢えて死ぬ民も減りました。増え続ける税も見直され、血税に縛られていた民も救われました。盗賊だって過去を思えば随分減りましたわ」

「ありがとう、リアンナ。けれどまだ一部でしかないのよ」

「イグリティアラ様」

「目指すのは民全員が明日を待ち遠しいと思えるような国づくりよ。皆笑って、愛しい人たちと食卓を囲むことができるような──そんな幸せな毎日が送れるようにしていきたいのよ。だから、まだ、私は力不足よ」

「そんな……っ」

「……まあ、確かに私はよくやっていると思うわ」

微笑むイメラにリアンナは悲しげに眉を寄せる。

あの日から共に過ごし、その間に少しずつ聞かせてもらったイグリティアラ様の大切な話が頭から離れない。この国を離れている間に出会った人たち、様々な出来事──なにより愛しい人との出会いのこと。

王族の勤めを果たそうと胸を張った凛とした姿勢を持ちながら、時々ふざけたように笑って子供みたいに意地悪をするイグリティアラ様が、頬を染めて内緒よと話してくれた。一緒に住んでいて、その方のためにご飯を作ったこと、最初はなにも分からなくて困っているとその方が色々愚痴を言いながらも結局教えてくれたこと、口数が多いほうではなかったが子供みたいに感情が顔に出ていること、その方の優しい低い声が好きなこと、よく子ども扱いされてしまったこと、頭を撫でられたときのこと──たくさんの大切な話。きっとイグリティアラ様が望む幸せな毎日はその方と過ごした時間から生まれたのだろう。その方と出会って過ごしたささやかな幸せを他者も感じられるように──この国がそうであるように想ったのだろう。

では、イグリティアラ様はどうなのだろう。

この国に帰ってきたときに別れたその方のことを想って、時間を見つけてはこの丘に来られる。前に1度聞いてみれば、目標が達成したら内緒で会いに行こうと思っているの、と少女のようにはにかみながら笑った。その姿がなぜかとても切なくて胸が苦しくなった。

どうか、どうか、イグリティアラ様が幸せでありますように。

イグリティアラ様が望まれるようにすべての民が未来を想い、親しい者達と笑いあえるそんな毎日が──イグリティアラ様がその方と一緒に笑いあえますように。

「お待ちくださいイグリティアラ様ー!」

「だってリアンナったら歩くの遅いんだもの」

「ひどいです!」

イメラとリアンナは2人、城に戻った。


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