04.声だせぬ言葉





【途切れた物語】04



助けてください

助けてください

助けてください

女、男、子供、老人の声が響く。入り混じった声は不協和音となって辺りを覆った。天へと伸ばされる手が日の光に焼かれ、枯れた目玉から涙を零す。

たすけて ください

声は、天を覆うかのように煌びやかな壁へといつまでも響いていた。

 ———

夏のただなかを過ぎてほんの少しだけ暑さが収まり始めるこの季節が、ロイは好きだった。後ろで一つに束ねた肩ほどまである茶色の髪が、さわさわと風になびいて、汗の伝う首筋に風が当たる瞬間もなかなか好ましい。ロイは背伸びをしながら、果てなどないのではないかと思うほどに雄大な高原を眺めていた。

広い、広い大地。

きっとどこまでも続くんだろう。なら一つぐらいこの大地のどこかにはあるはず。

ずっと追い求めてきた、自由な場所が。

「ロイッ!」

突然、高原に甲高い声が響いた。

それは最近ようやく耳慣れしてきた声で、見慣れない人物の声。ロイはまだ見慣れぬその人物を見下ろす。

 「イメラ……お前ちゃんと仕事したんだろうな?」

「あったりまえじゃない!もうとっくに終わったわよっ!どこかの誰かさんみたいに日向ぼっこなんかしてないわっ!」

イメラはロイの言葉に鼻息荒く言い返し、ロイの胸を小突く。

それに苦笑いを返しながらロイはもう一度だけ高原を眺めたあとイメラの手を引いた。

「行くか。あいつら、準備できたって?」

「ええ。でもロイってランダー達となにしてるの?」

「……また、今度な」

不思議そうな顔をするイメラを見るロイはやはり苦笑いのままであった。そしてその瞳の奥は嘲笑と自虐が混ざっていたが、イメラがそれに気がつくことはない。

ただ自分の手を握る硬い皮膚でできたロイの手を握り返すだけだった。

イメラはなぜこういうひょんなときにロイが手をつないでくるのかは理解できなかったが、慣れたもので別段気にすることはなかった。

子供だな……。

初めて会ったときとは違い、楽しそうに笑いながら手をひかれて歩くイメラは少女、子供にしか見えない。そんなことを口に出せばまた怒鳴られるだろうから言えないが、妹のようにまで思えるのだ。いつも明るく笑って走り回っていたアイツのように……。

「あ。ランダー!ロイいたわよ!」

イメラが声を弾ませたかと思うと、空いているほうの手を振り回しながら大声をあげた。視線の先には村の入り口がある。そこにランダー達はいた。

名前を呼ばれたランダーはひょろっとした身体をもたれていた壁から離し手をあげる。イメラを見た他の奴らが顔を赤くしたり、不自然な笑みを浮かべたり、目をそらしたり様々な反応を見せるなか、普通の対応をするランダーは流石、腹が据わっている。

「おっ、ありがとなーイメラ」

「なんてことないわよー!」

「あら、イメラちゃんにロイ。おはよう」

イメラの騒がしさに村人も微笑みながら側を通り過ぎていく。

「おはようございますメアリーさん!」

「どうも」

「もうっ!ロイったらそんな挨拶の仕方じゃ駄目じゃないっ!ちゃんと返さないと駄目でしょう!?」

「あーこりゃロイったらイメラちゃんの尻に引かれてるなあっ!」

「……」

「やだ。当たり前じゃないの!」

あはは、と笑いあうイメラたちをロイは引きつった笑みで眺めながら、ついイメラの頭を殴りそうになってしまう手を押さえつける。

和やかな風景だった。これが最近の日常でもある。

──イメラがこの村に来てはや一ヶ月。

最初こそいろいろと懸念があったものの、いつのまにかイメラは村人と馴染んでいて親しく笑いあう仲になっていた。とはいえまだなかなか受け入れきれない者もいるようだが。

まあしょうがないだろう。

今だってそうだ。小さな男の子がイメラを目にしたとたん顔を真っ赤にして今出たばかりの家へと戻っていく。

イメラはそれを見る度に、寂しそうな顔で「嫌われたわね」などと言っているがそうではない。イメラは自分が持つあまりにも秀でたその美貌の価値をまるで分かってはいなかった。

真っ白な肌に、金糸のような髪、人の心を見透かすのではないかと思うほどに透き通った蒼い瞳。他に言葉では言い表せれない程の美貌を持ったイメラは常人の目には眩しすぎる。ロイもかくいうその一人なのだが、村人同様見慣れたといえば見慣れたものだ。

だが、やはりまだ見慣れない。

まだ純情な心を持つ男の子にしてみればイメラのことを女神だと思っていたとしてもしょうがないことだともいえる。

例え口が悪く、手癖も悪く、突拍子もないことをしでかす奴だったとしてもだ。

「ちょっとロイ!さっさといかないとランダー達が待ちぼうけくらってるじゃない!」

「……はいはい」

バンッ、といっそ小気味いいぐらいの音が鳴った背中をさすりながらロイはランダーたちが待つ場所へと向かう。背後ではまた笑いあうイメラたちの声が聞こえる。

イメラがこの村に来て、村長の家に行ったのがついこの前だったってのに馴染みすぎじゃないだろうか。おそらくこの村がおかしいのだろう。なんだってあんな得体のしれない異質な女が村に住むことをすぐに許可してしまったんだろう。村長なんてイメラを見た瞬間倒れたかと思えば、目覚めた瞬間村に住むことを許可した。

「あっ、ロイ!今日はロイの好物だからね!!」

それも俺の家に。

「分かったから」

手を上げて今度こそランダー達のいる場所に向かう。

家に帰ったらきっと、いや、必ず焼きたての鳥が食卓に並んでいるだろう。そしてイメラも、新しく増えた椅子の上に座って俺を待っているのだ。

「……アイツ、料理うまくなったよな」

楽しみだ。

そんなことを考えてしまう俺も、ずいぶんイメラに心を許しているおかしな村人の一人なのだろう。

村長がイメラを住まうことにした条件が俺の家で住むことで、それからイメラに押しきられて俺の家は住人が一人増えた。もともと俺しかいなかった訳だから別段困ることはなかったが生活は激変した。

なにせいまでこそ思い出さないと分からないほどの単語だが、イメラは王族だ。しかもよくは知らないが特殊な事情で城に閉じ込められたとのことでなにもしたことがなく、何も知らない状態だった。

だから料理を始め生活雑貨、風景でさえもとにかく全てのことを教えていかなければならなかたった。しかもなにを見ても興奮するもんだからうるさくて仕方がない。

それでも見ててはらはらするような刃物の握り方も数日すれば様になっていて、一週間すれば家を空けることができ、いまでは全て任せきっている状態だ。

イメラは飲み込みが早い。城で本性隠して立ち回ってたことがあった分、そういうのは身についてることなんだろう。

だが、まだまだ世間知らずには違いない。

「……待たせた」

「おお。お前がいなきゃ始めらんねえだからなー」

「悪い」

「イメラちゃんにニヤついてでもしたのかあ?」

「そりゃお前だろ」

ランダーたちに会ってくだらない雑談を交わす。そうでもしなきゃやってらんねえことを今からしなきゃらならない。

生きるためだ。

そういい聞かしたあと、溜め息を一つ吐いていつもの台詞を言う。

「それじゃあ行くぞ」

「「「ああ」」」

──村はずれにある誰も住まないこの家に、ロイたちは下手すれば週に一度はくる。ドアを開けてまず見えるのは文様。ただそれだけしかない。ランプも置かれておらず、窓もないそこは昼間だというのに薄暗く夜のようだ。ドアを閉めることで僅かに聞こえていた笑い声さえも聞こえなくなったいま、そこは不気味な空間と化す。

初めてここを訪れたものも、文様がなにを表すのか分からずとも、きっとよくないものだということを肌で感じるだろう。

隠すようにしてある文様だけを収めるこの家のことを、あの気さくでおかしな村人は知っている。ロイたちがこの家に何度も向かうことも周知の事実だ。

……黙認は、罪ではない。

ロイは苦笑いを浮かべる。そう。ただ俺たちが始めてしまっただけのこと。それでいい。知らなかった。それでいいのだ──なのに、そう思うのに、最近はどうも調子が悪い。

文様に魔力を込めて相変わらずのメンバーを眺める。お互いに信頼しきってるから、もう視線だけで合図は完了する。

他の地に転移する瞬間、ぐにゃりと変わる風景。

なんだろうな。最近はイメラの顔が頭にちらついてしまう。

あの村にいる大人で唯一、俺たちがしていることをしらない人間。笑い遊ぶ子供のように。

既に現実を知っていてもおかしくはない年頃だというのに、まったく穢れない心を持って笑うイメラ──

「た……すけ、て、くださ……い」

真っ暗な景色。

さっきまで居た家よりも陰気な空気が漂い、なにより異臭に満ちたこの空間からそう遠くない場所で声が聞こえた。だが、いつものことだ。

ロイたちはそのまま外に出る。

村はずれにあった家からは朗らかな空気がよく似合うディバルンバの村がよく見えた。けれどいまはまるで違う光景が視界に映る。

転移した先は荒野にある隠れ家。そこに時々思い出したように突き出た岩のような家があり横たわる人間が存在している。つんとした匂いは嗅ぎ慣れ過ぎて、なにが嫌な匂いか分からなくなってきてる。

ゴミのように捨てられた人間が地面に寝ている。生きているのか死んでいるのか。もう確かめようとも思わない。

ただ、そいつらがぎょろりと視線を俺たちに向けてくるのだけは目に留めておく。そして、数分も立たないうちに、いままで動きもしなかったそいつらが這い蹲りながら動き出した。

服を着て立っていて、しかも見た目に栄養も取れて健康そうな俺たちは“異質”だからだ。そいつらはわらわらと足元に寄ってきてすがりついてくる。

涙を流して、手を伸ばしてくる。

「助けてください」

「助けて」

俺たちはその手を跳ね除けて、歩く。

お互い様だ。

俺たちも生きるか、死ぬかだ。

「邪魔なんだよ」

俺は死にたくない。村の人間だって死なせたくない。故郷をなくしたくはない。

大切なものを守る為だったらな、なんだってやるさ。

「キャアアアアッ!!!」

「おい見ろよっ!イメラにも劣らないほどの上玉だぞっ!!!こりゃいい金になるっ!」

「逃がすんじゃねえぞっ!!俺たちの大切な飯代になるんだからなあっ!!!」

なんだってしてやる。

「助けて……」

そういうふうに泣き叫ぶ村の人間は見たくないから。

「……残念だな。恨むなら恨め。俺たちも、この国もな」

そしてまた、女の叫び声が聞こえる。

それは徐々に嬌声に変わり、周囲は異様な熱に包まれる。手を汚した俺たちは、もうなにが純粋かを人に見出さないと分からないぐらいに汚れきってしまった。

「ロイ、いい女だぜ?お前はヤラねえの?」

「……いい」

「そ。じゃ、もっかい」

やり場のない感情を他の人間にぶつけて、嫌っていたはずの苦しさを他人に植えつけるようになった。

「あああああああっ!!いやああああ!!!助けてえええっ!!!!!」

救いを求める叫び声は、辺りに響く。

なのにすぐ近くに居る奴らはピクリとも動かない。またさっきのように死んでいるか生きているか分からない姿のままで。

ただ、小波のように小さく呟く声が辺りを埋め尽くす。

助けてください。助けてください。

助けてください。

……なあ、助けてくれよ。

いつも想いを馳せる自由な場所。心も、身体も、なにもかもが自由な場所。

救いを求めて手を伸ばす奴らと同じように、俺もいつも手を伸ばす。

そこに最近浮かぶ、イメラの顔。

今の状態を生み出したこの国の王族であるイメラ。

なあ、助けてくれよ。

イメラ。

じゃないと俺はあんたになにするか分からないんだ。

もう俺はこんなことが当たり前になるぐらいには狂っちまってるんだ。なにしてもおかしくはない。

今日家に帰ってあんたの顔を見たら、俺はまた手を伸ばすんだろうな。

あんたみたいな自由に向かって。

なあ、

助けてくれよ。 


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