04.聖剣





「どんな人がここに来るんだろうね」
「一緒に見ようよ」
「駄目、私は無理だよ。……でもあなたは会える。ねえ、こういうところいっぱい作ってみたら?案外楽しいかもしれないよ」

「──なんでだろうな。案外楽しいけど、寂しいんだ。
……俺は軌跡をなぞるたび楽しくて寂しくなる。お前の言ってた通りだったよ」






「ここか」

真っ黒の衣装に身を包んだ青年クォードは眼前に広がる景色を見ながら重々しく呟いた。目の前にあるのは視界の端から端まで埋め尽くす森だ。まだ森の入り口だというのに入れば二度と出られないだろう雰囲気が漂っている。
背後にはいままで通ってきた草原がある。この森が見えたのはミグライヤを出たあとフィリの言うようにラムン川に沿って草原を歩き続けて一週間は過ぎたころだろうか。
広く長く続くラムン川は鬱蒼とした森の中へと続いていて、森の奥に進むにつれその姿を濁らせついには暗闇に姿を消してしまっている。
気味悪さを感じたのだろうか。クォードはごくりと唾を飲み込んだ。

「なんか楽しそうだねー」
「……そうだな」

が、ヴァンはというと実に楽しそうに森を眺めている。そんな姿を見たクォードは馬鹿らしくなってきて、森と同じく鬱蒼とした気分を晴らそうとせんばかりに大きな溜め息を吐いた。

「ヴァン……。何度も言うがここはもうダイロドナスの領域だ。この森にも盗賊も“奴ら”もいるかもしれない」
「分かってるよ」

相変わらずヴァンはニコニコと笑っているが、その小さな手は血を流さんばかりに強く強く握り締められていた。
“奴ら”
それは賊であり、犯罪者であり、略奪者。
そして、ヴァンとクォードの旅の目的。

「確かにお前は子供にしては強い。幼いその容姿は相手を油断させることができるし、躊躇せず人を斬ることができるお前は正直、使える。……だが、お前は子供なんだ。体格差だって大きいし、なによりもお前は精神面が弱い。お前は怒りで我を忘れ、怒りに身を任せて捨て身で斬りかかる」
「……クォード」

もうそのことは話したはずだとヴァンが咎める。
ミグライヤでフィリを狙う賊と対峙したお陰でヴァンを預けることが難しくなり、結局共に旅をすることになった。そのときクォードは目的の場所が危険なダイロドナスであること、死ぬかもしれないこと、守ってやれる余裕もないことを偽りなく話したが、ヴァンは目的は同じだと意志を変えず、クォードについていくと聞かなかった。
不安だった。
自分が旅を始めた頃とヴァンを比べてみれば、ヴァンは二つも上の年で、この幼さにも関わらず一つ一つの決断は決して甘えたものではない。自分とは大違いだ。だけど、不安だった。
──もし旅立つときに父と母が見送ってくれていたなら、いまの俺と同じ気持ちだっただろう。
一緒に旅をすることになったときは煩わしさすら感じていたものの、いまではすっかり弟のよう思う。ヴァンを危険な目に遭わせたくはなかった。
結局のところクォードは苦い気持ちを覚えながら、自分のことは自分でとヴァンと約束し、現在に至る。
──連れて行きたくはない。だがヴァンの気持ちは痛いほど分かる──そもそも俺は人に指図できるほど人が出来ていない。正しい結果に導くこともできなければ、感情に流されるような男だ。
クォードは弱い自分を嗤う。

「……お前は一人で戦おうとするな。俺も一緒に戦うから一人で突っ走るな。……お前はお前を守るための戦いかたも覚えろ」
「クォード?」

ヴァンの目がおかしなものでも見るかのように戸惑いに揺れる。クォードが見返すとヴァンは目を逸らした。そして、普段のヴァンからは考えられないほどに小さな声で独り言のように呟いた。

「僕も頑張るんだから。そこは認めてね?……一緒に戦うからね」
「……ああ」

穏やかな低い声にヴァンが顔を起こしてクォードを見上げた。クォードはヴァンを安心させるかように笑う。

「いくぞ」

そして、その身を暗い森へと向かって進ませて行く。

「あっ、待ってよ!」

クォードは気がつかなかった。ヴァンが泣きそうに嬉しそうに笑ったことを。



「──なあ、おい。これアイツのじゃねえか?」

知らなかった。

そう遠く離れていない場所で、ラムン川沿いに残っていたクォードとヴァンとの大小の足跡を見ながら誰かが笑ったのを。

「おい、召集かけろや」
「はっ!」
「あの森、入り口は一つだよな?」
「はい。そうです。なんでも“魔”が働いているとかで入り口は一つとなっているそうです」
「……ならいい。行くぞおっっ!!!」
「おおおおっ!!」

気がつかなかった。“奴ら”に包囲されていたことを。
なにも知らないクォードとヴァンは森の奥深くへと、湖へ──聖剣を目指して更に奥へと進んでいくのだった。





++++

「ねえ、フィリが言ってたのって本当に聖剣なの?」
「ああ。それらしきものがあると言っていた」
「うわーっ!いいなー!欲しいー!!」

ヴァンは外見に合った表情で笑いながら軽い足取りで歩いている。金色の髪が忙しく上へ下へと揺れていた。

「この先にあるはずだ」
「でも長いよねー。この川」

森に入ってゆうに三日が経過していた。それなのにフィリの言っていた湖には辿り着かず、薄暗い森がただ続いているだけ。たまに獣が襲ってくる以外にはなんの変化もない。

「暇だねー」

ヴァンも単調な行動に嫌気が差したのか、聖剣を想い楽しそうにしていた顔をいまはつまらなさそうに歪ませていた。聖剣の話をヴァンが持ち出しのもこれで十二回目だ。あまりにも何もないこの森でとりあえず話したかったのだろうが、とうとうヴァンは黙る。
ヴァンが口を閉ざせば辺りは一気に静まり返った。クォードはヴァンとの会話は嫌いではなかったが、自分から話してまで会話を続けようとは考えていないのでその沈黙に甘んじている。

「ねえ、クォード。どうせだから少し話してもいい?」

だがその沈黙は一瞬で、妙に改まったような声でヴァンが話し出した。

「なんだ?」
「僕、前にお母さんとお父さんが殺されたって話したでしょ?お母さんは刺されて、お父さんは僕を庇って」
「……ああ」
「僕ね、どうしても許せないんだ。……あいつらだけは許せない」
「……」
「僕の手で殺してやるんだ。だからさ?お願いだから僕の手で殺させて」

いつもニコニコと笑うヴァンは、いまは無表情だった。だからこそその真剣さが伝わってくる。

「もちろん、クォードの忠告は聞いとくよ。現実を見れば僕だけじゃあいつらは殺せないし。……一緒に戦って」
「ヴァン。どうしてもそれしか道はないのか?」
「……僕はあのとき殺されたんだ。お父さんの身体に刺さった矢が僕の目の前にも見えたとき、僕は死んだんだ。お父さんの血を浴びたとき、僕もお父さんと一緒に死んだんだ。……もう、道なんてないよ」

ヴァンは笑わない。
淡々と語りながら、壊れたレコードのように何度も同じことを呟いていた。

「僕は死んだんだよ」
「ヴァン……。止めろ。お前はまだ死んでなんかいない」

ヴァンはじっとクォードを見つめる。
その視線にクォードは目を逸らした。

「──ねえ、なんでクォードは旅をしてるの?一人で、なんの旅をしてたの?」

もとから風を吹き込まない森が、更に息を潜めていく。いつかはされるだろうと思っていた質問に、クォードは自嘲めいた笑いをこぼした。

「知ったらお前は俺を恨むんだろうな」
「……え?」

ヴァンは不思議そうに首を傾げる。
その瞳に、クォードは昔の自分を思い出した。兄を見ていたときの自分の姿だ。

「俺の生まれた村は小さくて、古くからの習慣を重んじるところだ。俺はその村の中にある家で父と母と……兄と暮らしていた」
「お兄さん?」
「名はラッジュ」
「……っ!!?」

ヴァンの表情が驚きに、そして憎悪に彩られる。
拳が震えていた。

「兄は優しいとはいえなかった。俺にも、家族にも、誰にでも。兄は危険なことを自ら好んで挑んでいったし、またそれを人にさせていた。兄は次第に家族でも村でも孤立し始めた。頻繁に外へ出ては身体に切り傷を作って帰ってくるようになった。もう分かってたんだ。このとき兄が外で危険な奴らとつるみ始めていたことは。でも、俺は何もいえなかった。どんな兄であれ、俺には一人の兄だった」

クォードはすうっと息を吸った。
吐き出すようにして話た過去はクォードに深い傷を負わせたままで、いまもなお痛めつける。目を閉じても、耳を塞いでも蘇ってくるのは血に濡れた住み慣れた家と叫び声。
クォードは張っていた肩を落としながら重い息を吐く。

「兄は、父を、母を殺した」

ヴァンの顔はもう見えない。ただ暗闇に見えるのは、この場にそぐわないほどに明るい金色の髪と、ヴァンの両手から落ちていく血の赤だけ。
クォードは真っ赤な血に目を奪われる。
──ああ、この血の色だ。家に帰って見たのは血だらけで瀕死になっている父と母の姿。二人の傍で真っ赤に濡れた剣を片手に楽しそうに笑っていた兄は、俺を見ると更に楽しそうに笑っていた。狂気に満ちた目は俺の姿を捉えたまま足元に横たわる父と母を荷物のように足で転がして近づいてくる。真っ赤な手が伸びてくる。恐ろしかった。すべてが、怖くてしょうがなかった。

──俺を殺してみろよ。

血の気のない兄の唇が、俺に言葉を落とし笑いかける。
兄は俺を殺さなかった。

「俺の村では親殺しは禁忌だ。そして、その罪人は血縁者によって裁かなければならない。裁断者は、罪人を殺すまで村には帰れない」

ヴァンが顔を起こしてクォードを見た。その瞳からはなにも読み取れない。

「……俺の目的は兄を殺し裁断者としての役割を果たすことだ」
「クォード」
「なんだ」
「あいつを殺すのは僕だ」
「ヴァン……」
「僕だ」

獣が唸るようにヴァンの表情が歪む。それ以外言葉を忘れたかのように同じことを続けたヴァンはクォードに背を向けて歩き出す。クォードは伸ばしかけた手を元に戻し、ゆっくりと小さな背中を追う。
きっと両親とともに普通に生きていただろうヴァンをんなふうにしたのは兄、ラッジュ。
親殺しを終えたラッジュは外へと出て仲間を集め、ダイロドナスを拠点にその勢力を広げていき後に世界に混乱を招いた。略奪者や犯罪者の溢れるこの時代を作った張本人といっても過言ではない。
もしあのとき自分が兄を止めていれば──殺していればこのような時代はなかったかもしれない。……ヴァンは家族とともに幸せな人生を送っていたのかもしれない。それこそ剣などまったく使わない人生を歩んでいたやもしれない。

「ヴァ「ねえ」

クォードがたまらず声を上げたとき、ヴァンが静かな声でさえぎった。なんだと思いながらクォードはヴァンが見ている場所へ視線を移し、驚きの声を漏らす。

「あれは」
「湖、だよね」

森の開けた場所に大きな弧を描いた湖があった。森という天井がなくなっているだろうその場所では光が降り注ぎ、湖はキラキラと光り輝いている。
ヴァンが走って、それにクォードも続きながら湖へと向かう。

「フィリが言ってたのはここだよね!?絶対そうだよっ!すごい……。綺麗だ」
「これは……、すごい」

その場所はなんともいえないぐらいに綺麗で、クォードとヴァンは一時、先ほどの会話を忘れた。
周りにある木々は降り注ぐ光を吸収したかのように木自体が光り輝いている。そんな木々を鏡のように映し出す湖は恐ろしく感じてしまうほど澄みきっている。湖はひどく深いのに水底で泳ぐ魚の姿が分かる。魚は水底にある宮殿のような祠を優雅に泳いでいた。祠の前には立派な衣装を纏った一人の男が両手を広げていて、眼下に広がる人々を象った大小様々な石造に応えている。
そしてその男の背後には……金色に輝く、遠目でも分かるほどに素晴らしい細工が施された美しい剣があった。祠に恭しく収められている。

「あれが聖剣なのか」
「綺麗だね……」
「ああ」

そう呟いて、ふと、何気なくクォードは水面に写るヴァンを見る。ちょうどヴァンもクォードを見ていたらしく目が合って、ヴァンはおかしそうに笑った。

「ほら、あそこ。あの祠の壁に穴があるでしょ?……きっとあそこにフィリからもらったネックレスをはめるんだよ。……行ってきなよ」
「……お前は行かなくてもいいのか?」
「あれはきっと、僕は持たないほうがいいよ」
「どうして」
「なんとなく。ほら、行って」

ヴァンはクォードを湖に突き落とさんばかりの勢いでその背中を押している。クォードはヴァンがなにか悩んでいるような表情が気にかかったが、背を押す強さに負けて諦めた。泳ぐのに邪魔なマントと剣を取って地面に置く。ガチャリ、とクォードの黒い長い剣が音を鳴らす。

「ヴァン」
「なに?」
「……これをやる」

クォードの無骨な手がヴァンの前に差し出される。その手に握られているのは黒い剣。

「これはクォードの大切なものじゃないの?」
「まあな。使い古してはいるが切れ味はいい。お前が……成長したときこれを使ってみるといい」

本当は、ヴァンが成長したときには剣を使う時代などないのが一番なのだが。

「いいの?」
「……まだお前には大きいがな」

ヴァンが両手で剣を持つのを眺めながら、クォードは笑った。ヴァンがただの子供にしか見えなかったからだ。

「嬉しいよっ!ありがとうクォードッ!!!大事にするからっ!」

よほど嬉しかったのかヴァンは大事そうに小さな手で大きな剣を抱え込んでいる。そしてポケットから少し汚れてはいるが綺麗にたたまれているハンカチを取り出した。
ヴァンはそのハンカチをじっと見たかと思うと、にっこり笑ってそのハンカチをたったいま貰った剣の柄へと巻きつけた。とれないように、ぎゅっと。

「……あのね、これ大分前に貰ったんだ」

そのときのことでも思い出しているのか、ヴァンは目を細めながら空を見上げている。ハンカチの端が風で揺れていた。

「僕はね、いっぱい人を殺しちゃった」

そして、その視線を今度は湖へと移す。その目は更に細められ……最後には閉じた。

「だから僕もね、もう罪人なんだ。あいつらとなんら変わりないんだ」

泣きそうな表情は見ていて痛々しい。
だけど、クォードにはなにも言うことはできなかった。
──俺も同じだ。

「でもね、僕、人を殺したけど人を助けることもできたんだ。前に賊が襲ってきたときにね、そこには綺麗な馬車があったの。こんなときなのにあんまり警護もつけてないから賊に襲われたのは当然だよね。……それでさ?その馬車の中には女の子とそのお父さんがいてね、なのに賊は武器を振り上げたんだ。だから僕も同じように剣で賊を殺しちゃった。女の子のお父さんはね、すっごい怖そうな顔をしながら僕を見てた。女の子も僕を怖そうに見てたんだ。でもその女の子がね、お礼をさせてって言ったの。人殺しの僕に」

はあっ、と吐かれた息は大きいがその顔は苦渋に満ちたものではない。
ただどこか悲しそうに、でも嬉しそうに笑っている。

「その女の子は僕にありがとうって、それでごめんって言ってた。僕が勇者になりたいんだって言ったときも頑張ってねって、叶えてねって言ってくれたんだ。……あの女の子は、分かったんだろうね」
「……ヴァン」
「僕は勇者なんかじゃないよ。ただの人殺しだよ。僕のお父さんとお母さんを殺した奴が許せなくて、あいつの仲間が許せなくて、ただ目に映ったアイツラを殺してきた。僕は僕みたいな人をなくしたいって思ってるんだ。それを止めたいって思ってるんだ。でもね、僕は僕と同じような人をまた作ってるだけなんだよ。
……ねえクォード。僕はね、もう戻れないんだよ。勇者にもなれない。アイツラにもなれない。普通に生きる道なんて、自分でもう潰しちゃった。もうね、一つしか道は見えないんだ」
「でもまだお前は生きてる。いまからでも変えられる……っ」
「ううんクォード。僕はね、勇者になるんだ。とっても身勝手な勇者に」

ヴァンは後悔をしている。
だがいまさらやり直そうという気持ちは──もうない。
クォードはその気持ちが理解できて、だからこそ何もいえなかった。

「ありがとうクォード。こんな僕なのに贈り物をくれて。クォードが大切なものを僕にくれて……凄く嬉しい」

ハンカチを、剣を握り締めながらヴァンは項垂れた。
ヴァンは子供だ。
それを思い知らされる。こんなにも脆くて弱いのだ。人を殺すことが平気なわけがない。でも引き返す方法も知らなくて、自分がそれを許せなくて、自分のしていることがまた誰かにとっての不幸を生み出すのだと理解しても感情を止められなくて。

「……俺は、お前に会えてよかったと思っている」

ぽつりと呟いたクォードの言葉にヴァンはがばりと顔を起こしてクォードを見る。見開かれた目に射抜かれてクォードは照れたように笑う。

「お前はよく喋るがな。弟がいればこんな感じかと思えたぐらいだ」
「……じゃあ、クォードは僕のお兄さん?」
「さあ、どうだろうな」

クォードは見上げてくるヴァンを眺めながらその頭をわしゃわしゃと撫でる。

「わっ、と!」
「じゃあ待ってろ」

そしてクォードは湖の中へと飛び込んでしまう。飛び跳ねた水を浴びながら震える声で応えた。

「……いってらっしゃい。クォード」

それは涙なのか頭からかぶった水なのか、ヴァンの頬にはいくつもの線が流れていた。

「クォード?おいガキ、あいつのこと知ってんのか?」

その声は、背後から。
ヴァンの手には黒い剣が握られたままだった。





クォードがその手に金色の柄を握りながら湖から出てきたとき、ヴァンはいなかった。きっとこの剣を見てまた顔を輝かせるのだろうと思いつい緩んでしまっていたクォードの顔が、目に見える光景に歪む。
にこにこと笑って自分を待っているはずのヴァンはいなかった。
そこには大量の血を流しながら立っている少年が一人と、その少年を囲む異質な存在たちがいた。


「──クォー……ド?」

ヴァンの小さな肩に鋭利な剣が刺さっている。


「久しぶりだな、クォード」

異質な声が響く。
透明だったはずの湖が濁りを見せていた。


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