02.黒の騎士





──立場が違えばみな英雄で悪人だ。



深い森の奥を少年は一人歩いていた。限られた色しかない場所では少年の金色の髪はとても目立っていて敵のよく知るところとなる。いまも少年に狙いを定める者がのそりのそりと忍び寄っている。少年は気がついているのかそうでないのか、鼻歌交じりに歩いていた。


 愛さす場所に光あり
 光ある場所に笑いあり
 笑いある場所に涙あり
 涙ある場所に悲しみあり
 悲しみある場所に救いあり
 救いある場所に絶望あり

少年がピタリと動きを止める。その幼い手には既に剣が握られていて、いつの間にやらピリッとした緊張感を宿していた。少年はゆっくりと身体の向きを変える。少年の視線は決してあどけないものではない。草を踏む音が近くなる。呻り声が聞こえた。

高く生い茂っていた草の間から狼が飛び出してくる。剥き出された鋭い歯の合間から涎が流れ出ていまにも少年に食いつかんばかりだ。だが少年はただただ無表情で──獣が大きな体をぐっと縮める。一瞬だった。弧を描いて少年に飛び掛った狼はあともう少しで少年の喉元に牙が触れるというところで、時間が止まったように動きを止める。その首にはどっぷりと沈む剣があった。少年のほうが早かったのだ。

少年は狼の体重を支えることが出来ず狼と一緒に地面に倒れる。剣は手から離れない。狼は剣を飲み込んだまま地面に倒れ四肢を痙攣させ、動かなくなった。涎と一緒に血が流れる。
少年は体を起こすと狼の体に足を置き深く突き刺さった剣を引き抜いた。鳥が飛ぶ音が聞こえる。
そういえばこの獣は食べれるんだろうか。
少年はぼおっと考えながら剣についた血を拭った。

 絶望ある場所に愛あり
 全てに意味が
 全てに意味が
 果て無き道が終わるとき
 私はその意味を知るでしょう
 道の果ての意味も
 全ての意味も
 私はきっと知るでしょう

少年は何事もなかったように歌う。少年の顔には狼に引っ掻かれたためか数本の長くて赤い線が入っていた。狼と同じようにつうっと血が流れる。だけど少年は動き狼はもう動かない。少年は自分の顔に手を触れる。ピリッとした痛みが走るが、その線を辿っていき端まで辿りついてから手を離した。手に付いた赤い血を少年は舐める。その様はまるで自分が生きていることを確認するようだった。

「おかしな子供だ」

少年はビクリと肩を弾ませる。
──人間。
狼ではなく、死ぬかもしれないと思ったその瞬間でもなく……少年は人間に恐れを見せた。震えている身体を相手に気取られぬよう注意しながら振り返れば、背後に立っていたのはやはり人間で、しかも少年が敵いそうにない雰囲気を持った青年だった。

整った凛々しい顔の青年は黒の瞳に、短い黒髪に、黒い服装に、黒いマントと全身黒ずくめだ。

少年はできる限り青年から離れようと後ずさる。
青年は続ける。

「死ぬことに対する恐怖はないのか?」
「……」
「これからもあんなふうに戦っていくのか?そう何度も幸運はないぞ」

青年の言葉に少年の瞳にある警戒心が和らいだ。その瞳には好奇心と警戒心が交じり合ってどうにも不安定な状態だ。少年は青年から距離をとるのを止めて、じっと青年を見上げる。

「……あんた誰?」
「通りすがりだ」
「ふーん。通りすがりならそのままでいいんじゃない?あんたには関係の無いことだよ」
「そうだが」

嘲笑ともとれる笑いかたをする少年を見て青年は口ごもる。少年らしくないとは思う。だが、この時代で考えるとその理由も自ずと分かってくる。それよりも青年からすれば少年のアンバランスさが気にかかった。無謀な戦いをして死を恐れないわりに人間を恐れ、なのに余りある好奇心を隠し切れずに近づく。
その姿がいまにも壊れてしまいそうに青年の目に映った。

「ねえ」

少年が急ににんまりと笑みを浮かべる。青年は嫌な予感がして顔を引きつらせるが、もう遅い。

「それともあんた、僕に違う戦いかた教えてくれるの?まさか口だけ?」
「……え、あっと」
「そっか。じゃあよろしくね。僕、ヴァンって言うんだ」

人と付き合うことが苦手な青年にとって、いままでしてきた一人旅は楽なものだ。それを壊されるのはたまったものではない。だが少年はもう旅に同行するつもりでいるらしいし、青年も青年でこのままこの少年を見捨てるのは気がひけた。
青年は諦めて小さく溜息を吐く。

「クォードだ」
「そ。よろしく、クォード」
「……ああ」

少年はニコッと笑う。冷め切った瞳と反して弧を描く口元はどこか痛々しく青年の目に映って、青年はさきほどまで少年が歌っていた歌を思い出す。

 愛さす場所に光あり
 光ある場所に笑いあり
 笑いある場所に涙あり
 涙ある場所に悲しみあり
 悲しみある場所に救いあり
 救いある場所に絶望あり
 絶望ある場所に愛あり
 全てに意味が
 全てに意味が
 果て無き道が終わるとき
 私はその意味を知るでしょう
 道の果ての意味も
 全ての意味も
 私はきっと知るでしょう

一人の女が作った歌物語だ。願うけれど決して叶わない物語を自分だけの道を描いた歌物語で、この歌が流行ったときよくされたのが歌詞の最後に自分だけの歌を付け加えることだ。
女が自分の人生である物語を歌ったように、その女の物語にあやかって自分だけの物語も付け加えるのだ。
少年もまた、思いがけない道連れを喜んでいるのかひどく楽しそうに歌っている。

 あいつらも知るんだ
 意味はない
 意味はない
 教えてあげるんだ
 意味なんてないんだ
 お休み お母さんが言った
 教えてあげるんだ
 お休みなさい
 教えてあげなきゃ ねえ お父さん

血を舐める少年を見下ろしながら青年は顔を歪める。おそらく、いや、間違いなく少年は血に塗れた道を歩こうとしているのだろう。

「僕ね、勇者になるんだ」

先を歩く少年が独り言のように喋る。

「悪なんて全部斬り殺してやる。盗られたもの全部取り返すんだ」

振り返った少年があどけなく笑うのにあわせて腰に帯びる剣が鞘にあたりカチャカチャ音を鳴らしている。どこか牽制じみた声色はざわめく鳥の鳴き声にかき消されていった。
背を向けて歩き出した少年と重なる人物に青年は頭を振る。あまりにも似すぎてた。

──いや、違う。アイツとは違うんだ。

青年は気を静め、少年の後に続く。

──もう俺達は戻れない。だがこの少年だけはまだ引き返せるはずだ。

青年は悲しそうに、楽しそうに歌い続ける少年を眺める。

 一緒に行こう
 僕も一緒
 お休みなさい
 地獄でまた明日

青年と少年はまだ、森の中。


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