ワーキングホリデーでオーストラリアに行った雑談、10年前なので詳細はないです

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ワーキングホリデーでオーストラリアに行った雑談、10年前なので詳細はないです

資料整理をしていたら、
ワーキングホリデーを利用してオーストラリアに行った時の資料がでてきました。

住んでみたいと思ったら働きながらお金を貯めて生活できるようにと、
わりと無計画な内容のまま、
ワーキングホリデーを利用してビザを取得しました。


──結果として、
住むことはなく、日本に戻ることにしたので、
用意していた資金が尽きるまで過ごしたあと、日本に戻りました。


オーストラリアという国を好きになって、
自分が住んでいる日本という国の好きなところを発見した期間でした。


なのでワーキングホリデーを利用したというと、
なんだかおおいなる挑戦のような言葉に聞こえますが、
実際のところ海外1人旅行ですね。

ただ遊んできました。

けれど、人生の中に印象強く残っている期間だったので、
海外に1人で行くというのはいい経験だったなと思います。



もう10年ほど前の話のため、
渡航までの契約や申請の情報も古く、活用には向かない情報なので、そこであったことだけを、
懐かしさのまま、以下に書き連ねていきます。

「こんなことあるんだ」とクスっと笑ってもらったり、
ゾッとして戒めとしてもらったりすれば、嬉しいです。

オーストラリアで過ごしたのはケアンズとシドニーで、
ほぼケアンズにいました。

海の近くにあったドミトリを最初日本で予約して、あとは気になったドミトリを現地予約して、渡り歩いていましたね。

予約方法は紹介や、
kindleをWi-Fi接続してからのウェブ予約。

いま思い返せば若いからこその行動力だな、と昔の自分を尊敬するとともにゾッとしますね。
プリペイド携帯を購入して使えるようにするだけでも四苦八苦してたのに、キンドルて。

ウィットフィールド保護公園で
自然に囲まれた空間を満喫しましたね。それで、たぶんここだったと思うのですが、ハイキングがてらちょっと登ったときにみた景色が綺麗でした。
花の名前は分からないんですが、赤みがかった花が風に揺れていて、飛行機が昇っていく光景が、空が青くてきれいでしたね。

面白かったのが男女共用ドミトリで、
一部屋に2段ベッドが4つあって、お風呂とトイレがセットの別部屋があるドミトリ。
とにかく料金が安い。
だからなるべくオーストラリアで長く楽しむために、ほとんどドミトリを使用していました。


日本の大阪でもドミトリで泊まったことはありましたが、
男女別れていたので、男女共用のところが多かったオーストラリアは新鮮でした。


部屋の広さが十分なところもあれば、
向かいに設置されている二段ベットの間隔が人3人並ぶぐらいもあったので、
広いところだとラッキーって感じでしたね。

同じ部屋の人と
この部屋の料金人によって違うくない?あなたはどこ使ったの~?みたいな感じで、安いサイトを確認するのは面白かったです。


異文化を感じたのは、
イスラム教の人が、礼拝(サラ―ト)をしていた姿を間近で見たときですね。
狭いドミトリだったので、サラ―トをする前に彼は、2段ベッドの下部分でごろ寝していた私に、少し前を塞ぐ形になるがここを使ってもいいかと確認をとってくれたんですよね。
一定の場所が必要だったため、配慮してくれたようです。

お互い英語がたどたどしくて、ほぼ単語や身振りでやりとりでしたが、
了承したあと彼が笑ってありがとうと言ったあの瞬間も記憶に残ってます。

異文化~って感じで新鮮でした。

公共スペースにハンモックが設置されているドミトリでは、
必ず誰かがそこに寝ていて、
誰かがギターやウクレレを持っていたら、カントリーロードを歌っていましたね。

私はそれをベランダで眺めてたり、
キッチンでご飯を作りながら聞いていました。



共用キッチンは、
先人が残した調味料や器具がたくさんあって、料理するときにありがたく使わせてもらってましたね。
スーパーで売っていたカンガルー肉はパサパサ感が強くて、どうしたらもっとおいしく食べられるかな~って考えてたことを思い出します。

あとはココナッツミルクを愛用していましたね。
温めたココナッツミルクを飲みながら、
次どこい行こうかなって本を読んだり、アクセサリーのスケッチをしていた時間が好きだったな。

日本人がワーキングホリデーで働いていたドミトリもありました。
このドミトリはシリアル無料で提供されてるけど買うの?って教えてくれた人ですね。自分の好きなやつ食べたいからと説明しながら、

「すげー働いてるー!」

と、自分がとったビザを忘れて感動していました。
いま思えばタダ飯なんだから遠慮なく貰っておけばいいと思いますね。やっぱりちょっと気を張っていたのだと思います。



日本人といえば、
ケアンズで散歩していたらよく日本語が聞こえてきて残念な気持ちになったことが度々ありました。

そのときは異文化を味わいたいという目的があったからそう思いがちでしたが、
改めて考えれば、日本人が多いのである意味安心できるエリアでもありましたね。

ドミトリで働いてる店員も、「日本人?あの部屋にも日本人いるわよ!」って教えてくれて紹介してくれたし、
もしかしたらそういう人が多かったのかな?と思います。

日本人のひとりがケアンズの夜市に行こうと誘ってくれたけど、海外に来てまで日本人とつるむのもなと思って断ったら、
買い物中に出会って気まずくなったことまで思い出します。

彼が働いてるドミトリで過ごしていたので、気まずいついでに丁度いいので、次はシドニーに行ってみるかって思った日でした。


妙に感動して印象強い人は、
博物館で出会った男性ですね。撮影禁止で荷物を厳選しないといけないところで、だけどせっかく博物館に来たんだから説明を読みたくて、電子辞書は持ち込みしてもいいか確認したとき、

サムズアップするだけでなく綺麗なウィンクを決めてみせたうえ白い歯を浮かべた姿に、
見事なスチルというか一枚絵に感動しました。

楽しんで!と言ってくれたおかげで、
その日ずっと楽しかったですね。


ほかにもお店の人がフレンドリーな人が多くて、
つけていたピアスを見ていいね!とか商品を購入したときいい買い物したね!ってみんな笑顔。とっても楽しかった。

もちろんヤベーなって人もいましたし怖いこともありました。
第一位は露出狂ですね。

閑静な住宅街にある川の近くを歩いていたら、
自転車に乗ったレゲエのラッパーみたいな黒人が前から一人やってきて、話しかけられたので挨拶していたらそのまま走り去ることなく止まって、会話が続いたんですね。

その過程で、私の英語が達者じゃないことが分かった彼はゆっくり話してくれるようになって、
Is this like?
みたいな感じで公園を指さして会話するようになりました。

公園、近くにあった木──そして指さす場所が彼の下半身になった。
最初からだったのかそうでないのか分からないが、モロだし。
そしてラッパーみたいな黒人がいう。



「Is this like?」



うっわー!やっべー!ですよねw
今思い出して書きながら、どう考えても危ない状況だったわけですが、
そのとき私がしたことは指さして大声で爆笑。

そしたら男も手を叩いて笑って、
私はその流れのまま別れを告げて手を振って、男の進行方向に向かって歩き出して、最終的にドミトリに戻って事なきをえました。


歩いている間に閑静な住宅街ということも分かっていたうえ、
私とその男しかいないという状況で、自転車という乗り物を相手は持っている状況でしたので、
絶対に怯えた言動をとっちゃ駄目だと強く思った記憶があります。


急いでいるようには見えないけれど、
できる限りの速足でドミトリに戻ることを考えました。


走って逃げる姿を楽しむ人も世の中いますし、
少なくとも相手が優位性を持っていると確信した状況で行動をしかけてきているので、
なるべく刺激しないようにするにはどうしたらいいか考えてました。


というか日本でそういうことがあってからのこの変態だったので、
爆笑という選択肢を取れたんだと思います。
もちろん、笑ったことでキレて攻撃してくる人も世の中にいるでしょうから、いい方法とは言えません。


そもそも、閑静な住宅街、人通りの少ない場所を歩くべきではないというのが大前提ですね。
ドミトリに戻るあいだ、自転車に乗って辺りを見渡す男の姿を数度見かけたので、その反省はいまも胸に残っています。怖かったわ~


余談ですが、
日本で深夜私と変態しかいない状況でずっと後を追われるという状況で一番効いたのは、
指を嚙みながら、鼻をすすって泣きまねしながら低く笑っておくことですね。

場所とタイミングによりますが、効果的でした。
それでもめげずに話しかけてきて、卑猥なこととかそこでヤろうとか脅かしてくる人には、明らかに会話が嚙み合わないようにしてました。私は悪くないアイツが悪いんだとか言ってたら車に乗ってどこかに行きましたね。完全無視して撃退できるパターンもありますが、キレてくる可能性は少なからずあるので、やっぱり、深夜はタクシー乗るのが1番ですね。


まず、そんなことがおきにくい状況を自分で作るのが、すべき最善手です。


だからこそ私は姪っ子たちが1人で海外旅行に行くといったら、
滅茶苦茶反対するか、絶対に閑静な住宅街や人通りの少ない場所に行かないことを約束してもらうでしょうね。

自分の無謀な行動を、姪っ子たちがしている姿を想像するだけで怖いです。


話をオーストラリアでの体験に戻します。
次にヤベーなと思った人は、

電子辞書を使いつつ話すような日本人である私に、
第二次世界大戦をどう思うか原子爆弾について思うことを再三聞いたあと、
私は日本人がたくさんいるペンションのオーナーだ、君も来ないかって誘ってきた白人のおじいちゃん。

そもそもそこまで英語できないので、和訳間違いも十分にあるけれど、何度確認しても妻もたくさんいるって言ってた。怖すぎるわ。
公園のベンチでキャリーバックを傍らに置きながらひとり休憩するのは止めたほうがいいということですね。

ここまで人に対しての思い出ですが、オーストラリアは他にもいろいろ魅力がありました。
オペラハウスはもちろん、やっぱり海外ならではの建築物の違いは何度見ても飽きず、ドミトリから無料シャトル場所が出ていたのに、街に行くたび歩いていました。長い橋を渡りながら海を見て、だんだん賑わっていく景観を、道を変えては楽しんでいました。

西洋建築が並ぶところにある花屋さんが、もう、それだけで綺麗で、
街灯や教会を見てはニヤニヤしてました。

博物館や美術館が多かった。
私の印象では文化を楽しむ機会がたくさんある場所ですね。もちろんお金は必要でしたが、教会でパイプオルガンを聴くといったイベントがいくつもありました。

初めて聞いたパイプオルガンに、
厳かな教会を目に映しながらドラクエを思い出していました。完全にドラクエだった。

ベイブの銅像を見たとき、
前知識がなかったので、思わぬ発見に驚きましたね。

前知識用意したうえで向かった教会が工事中で見学できなかったこともいい思い出です。
外観だけでもとてもきれいだった。

なにせイベントが多い。
海外だからと新鮮に感じるのでしょうが、毎週日曜にあった市場は楽しかったですね。
行った時期がよかったのか、フリマもたびたびあって、そこで「はらぺこあおむし」の本を買ったとき、興奮したなあ。

音楽祭みたいなのもあって、
広い芝生のうえでみんな、レジャーシートや椅子を好きに持ち込んで、歌を聞いたり、内輪で踊ったり歌ったりしていました。その日歩き疲れていたので、ほとんど通りすがっただけですが、いつまでも音楽が聞こえて楽しかったですね。

コンビニが海外だった。
お昼ご飯をローソンで肉まん買うみたいなノリで、コンビニらしきところに入ったら、レジがこう、強盗対策で封鎖されていたんです。
「わー!海外だー!」って妙に感動しました。

そしてそこで売っていたのが、肉まんじゃなくてミートパイだったことにも妙に感動しました。
めちゃくちゃ豪華でもなかったし肉の触感はほぼなかったけど、美味しかったなあ。

お金をおろすとき、
現金がなくなったので現金を下ろすことにしたのですが、日本のコンビニにあるようなATMが、オーストラリアだとオシャレな西洋建築に埋まるようにして道端にありました。
お金をおろすとき妙に背後を気にしてしまって緊張しましたね。当然英語表記なので時間もかかって、緊張したのを覚えています。

やらかした恥ずかしすぎる話。
街の端にあったドミトリで過ごしていたとき、
いつもは町の中心部に向かって歩いていたんですが、こう、なんていうか、好奇心がおさえきれなくなったんですね。

果たして反対側はどこまでいけるんだろうかって…そりゃ、どこまでもいきますよ。滅茶苦茶広いんですから。
ですが車が何度もいきかう道路の横にはそれなりに幅のある道があって、続いているんですよ。


地図を見たら、鉄道もあって、ケアンズからキュランダまで汽車で移動する、という観光もあったんです。


今、私は、当時の自分がとった行動を、本当にドン引きしてしまいますが、
当時の私はこう思ったんです。


「鉄道辿ればキュランダいけるじゃん」


馬鹿じゃねえの?って思うんですがね、実行したんです。ひとりで、午前中出発、リュック背負って呑気に歩いて。
ちなみに豆知識として、ケアンズからキュランダまで約37キロです。

いや、凄いですよ、ほんと。
家が少なくなって、途中寄り道して山上って呑気に写真撮って、鉄道の写真を撮って、ファーマーズ寄って図書館寄って、歩き続けて、いよいよ体力限界だなあ、どっか泊まるところ探さなきゃってところまで歩き続けたんです。
宿取ってないんですよ?信じられます?

そのうえもう野宿でもいいか~って思いながら川沿いを歩いてたら、
おばあちゃんと会ってお喋りの過程で「ここらへんワニ出るのよ~」って言われて、割と絶望してるんですよ。馬鹿かって感じですけどとりあえず自分が野宿しようと思ってた川の写真を撮る余裕はまだあったので、おばあちゃんと別れたあと、決めたんです。


バスに乗ってクランダに行こう、って。


馬鹿じゃねえの?って感じですよね。
ドミトリに戻るんじゃなくて、逆方向のキュランダに向かってバス乗るんですよ。
薄暗くなってきたとき、ひとり、海外初のバス乗りここですよ。


しかもバスに乗ろうって決断したのは、
野宿しようと思っていたところがワニ出る場所って分かったからだけじゃなくて、

道路に【サバンナストリート】って書かれた標識が、
自分の向かってる方向をさしてたからなんですよ。

馬鹿じゃねえの?って、本当にドン引きですが、
とりあえず、私はバスの運転手にクランダに行くか確かめてから乗って、バスに揺られました。
そこでクランダの情報誌を見てて、ようく理解したのですが、山間部にある場所だったんですね。

そう、バスは山間部を、真っ暗な山間部をぐねぐね曲がっていきます。

初1人海外で初海外バスですよ。
運転手が着いたよ、って言ってくれてありがとーって降りたときには、真っ暗。

まあドミトリ取れるっしょ!って思って歩く最中、
パリーンって何かが割れる音と酔っ払いの笑い声が聞こえるんです。
そして目当てのドミトリはね、もう閉まってたんですよ!もう爆笑もんですね。ひえええ、ですよ…。

その中で見つけた光っている場所が──日本でいう、警察署。
もう、本当、恥さらしですよ。

彼らの助けで、私はその時間でも営業していたキャンプの経営者に仲介してもらって、泊まれることになった。もう、ほんと、アホの極みですよ…。

恥は続くよどこまでも。
次の日、キャンプ場の人にお詫びと感謝を告げたあと、念願のキュランダに行くことになった。
もう一度いうと、クランダは山間部にある。
道中、地球の歩き方にあったケアンズとキュランダの地図を読みながら歩きました。今思うと信じられない話ですね。私のことなのに。
そしてついたキュランダで呑気にアボリジニの工芸品を買って、汽車が泊まるところにでるという青い蝶を探しに歩くことにしたんです。幸福の象徴とか見ると幸せになれるといわれているユリシスバタフライです。信じられます?

途中、霧がでていて先が全く見えない道もあって、
そこをじっと見ていたら「クルルルルル」とか鳥の鳴き声だけが聞こえてきて怖くもあり神秘的に思ったときがありました。
信じられます?
そして、とうとう、目当ての場所に着いたんです。しかも、ユリシスバタフライを見つけられたんです!
私は呑気にも山を歩いてよかった、なんて妙な達成感を持って山の中に消えていく蝶を見送りました。そんなとき汽車がやってきて、たくさんの人がおりてきたんです。蝶をみるための時間が設けられていたみたいで、汽車に乗っていた人全員降りてきているようでした。

渡りに船ってこういうことだ。
呑気にそう思いながら乗務員のかたを探していたら、制服に身を包んだそれらしき人がいたので声をかけました。
そこで分かったことなのですが、
あくまでここは蝶を見れるスポットとして停まる場所で、例えば、そこから乗る人を迎える場所ではなかった。つまり、乗り場はキュランダかケアンズしかないような状況だった。

途中乗車するようなものじゃないんですね。

うわーやっべー、という心中よぎるのは昨日の無謀な道のりと、帰りはどのバスに乗ればいいのかもう昼過ぎという情報。

そしたらどこかに行っていた乗務員のかたが、段取りをつけてくれたらしく、料金は変わらないが乗せることはできるよと提案してくれた。
いや、もう、本当に、ありがとうございますですね。
料金変わらないなんて別にそんなことどうでもいい。是非お願いしますと汽車に乗らせてもらった。

汽車に乗っているあいだ、乗務員さんが見どころスポットをアナウンスしていてとてもワクワクしたのを覚えています。
写真撮ってあげるよって言葉に甘えて撮ってもらった写真をみるたび、キュランダの旅路を思い出します。

あっという間に通り過ぎていく景色、向かいに座っていた女性とときどきにニコッと笑って、明るいうちに着いたケアンズの空を見上げた。
足が痛い。
そしてドミトリに戻ると、料金は支払ってはいるが、無断外泊したことで注意と名指しされた張り紙を部屋で見つけてまた冷や汗をかくことになった。

挑戦と無謀は違いますね。

自分で自分の失敗がカバーできる状況や備え、豆知識は大事だということを、とても、よく学ばせてもらいました。

空港で野宿した帰りの話。
帰ることにした日、案の定、思い付きで行動したため日本に向かう便がありませんでした。そしてタクシーで来たのに乗り場が違い、もう一度タクシーに乗って移動する羽目になりました。

そして私のように、乗りっぱぐれた人たちは思いがけないほど多くて、閉まった空港の壁にもたれて寝ていた。すっかり図太くなった私もそのなかに混じって一夜を過ごしました。ちょっと寒くて、でも目の前に寝ている人が気になって、でも眠くって。

中に移動したときだったかな?それとも外にでるまでだったかな?ここはもう記憶が曖昧ですが、とにかく、空港の中でも眠ることがありました。
みんな座席に座って寝ていて、中には何席も使ってベッド代わりに寝ている人が数人じゃなくんて何十人もいました。そして私もその中に紛れて座って、飛行機の時間を待っていましたね。

そんな時間を経て飛行機に乗って、日本についたとき、
「帰ってきたなー!」と思い、
どこをみても日本語で書かれた看板や通じて聞こえる日本語に、
「やっぱ日本最高やな!」と思いました。


恥も晒したし馬鹿もやらかしましたし無謀なところは多々ありますし、
もう同じことはできませんが、

行ってよかったな、そう思う旅でした。

全てを書き切ることはできませんので、
印象深かったことをピックアップして紹介しました。

私の経験が誰かの備えになったり、
違う場所を覗くきっかけになったら嬉しいです。



最後に、私ができるアドバイスを載せて終わりとさせていただきます。

  • 帰りの飛行機が予約できるお金を分けておくのはもちろん、充分な資金をもっておくと旅を安全に楽しめる
  • 変態に遭う可能性自体を避けるため、人通りが少ない場所や夜に歩かない
  • 無謀な挑戦(ひとりで山登り、数十キロ先にある山間部の観光地に歩いていこうとする、野宿を検討の余地に入れる)をしない
  • キャリーケースでなくバックパックのほうが圧倒的に移動便利
  • 使うだろうは使わない。私はキャリーケースにいれていたほとんどを使わなかった。
    服の上は3枚、ズボンはポケットがあるもの2枚、靴下と下着(タンクトップブラ)とフェイスタオル3セット、上着は防風撥水1、キャップ1、現金、歯ブラシ、スマホ、海外対応充電器とUSB、飲みなれた薬、布ナプキン、小さな救急セット、ストール一枚、手回しライト、小さいノートとペン、洗濯ばさみ5、手のひらサイズの裁縫セット、好みでベビーオイル、石鹸、マルチツール、セーム、S字フック5、日記帳、デビットカードこれらをジップロックにいれ、ビニール袋2つぐらいいれておけばそれで十分だった。化粧は眉ペンとリップぐらいで、清潔にすることだけは注意してたら大丈夫だったよ。南京錠あるとリュックに留めれてちょっと安心要素。それぐらい?
  • 幸い私は怪我をしませんでしたが、保険には入っておくと安心ですよ。





行ってよかった。自分の価値観や考えを知れるきっかけになりましたね。
今度は観光目的で行きたいな。

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