【途切れた物語】05.世界の姿
「イグ、可愛い子」
優しい声色は眼下にある子供に向けられていた。波打つ金の髪をその手に撫でながら女はまた同じことを言う。
「いい子だ」
そう言って男は子供の頭を撫でて満足そうな顔をする。
「お前のお陰で私は救われたよ」
子供の手に落とされるは子供にとって世界の全てである人間の温もり。
温かい。
「イグ」
そして離れていく男と女。
ガチャリ
鈍い音が響いて世界はまた閉ざされる。子供が虚ろな目で彼らを追えば、口元を歪める彼らは口をそろえてこう言った。
「「愛し子よ」」
彼らが去る瞬間が子供にとっての世界が色を無くす瞬間だった。
———-
「イメラ!!!」
外まで響いただろう怒声は日が昇ったのにも関わらず布団の中にもぐりこむイメラに向けられていた。イメラは布団の中で目を見開くも、身体を起こすことができなかった。昔の記憶が、彼女が動くのを阻んでいた。
だがそれも布団をはぐロイによって止められる。
「とっとと起きろ!今日は外に出るって言っただろうがっ!!」
「……そうだったわね」
「おい……ああ、もういい。飯は作った。早く着替えて食いにこい」
ロイはそう言ったが早いか背を向けて部屋を出てしまう。イメラはその姿を見ながらもいまだぼんやりとした頭で、夢と、いまを思う。イメラの口に浮かぶのは自嘲めいた笑みだ。
イグと自分を呼んだ彼らは一体いまどうしているだろう。
「待たせたわね」
「ああ」
とても自分より年上とは思えない台詞にイメラは苦笑するも、待たせたこともあって流す。
食事を終えたあと、案の定村人にまで聞こえた度々鳴り声を茶化されながらも挨拶を交わし、村の出口で待つロイのところに着いたのはたったいま。
今日はかねてから計画していた、村の外に足を踏み出すことになっている。
このディバルンバで唯一イメラの正体と気持ちを知るロイは、世界を見たがる想いをくんだのか色々とイメラ手を貸している。物の使い方や名称を教えてくれたり……つまりは一般常識を教えているのだ。しかも衣食住も提供してくれているのだからイメラとしては感謝してもしきれない。
なにかならなにまで世話になって、いつかは恩返ししたい。
イメラは前を歩くロイを見上げながら密かに心に誓う。
世界を知らない私に対して、世界を見せてやる、と言ってくれたロイ。……一体、なにが見られるんだろう。
なにからなにまで初めてだというのにそれ以上になにも知らない世界を見せてくれるのだから楽しみでしょうがない。気を抜けば緩む口元を隠しながらイメラは無言で歩くロイの後ろについていく。
“あの家”を出てから3ヶ月、いままで見てきたものは村人の明るい笑顔、綺麗な景色、広大な世界……。世界にはこれ以外にいったいなにが存在しているのだろう。
ロイはそんな風に人目見ただけで楽しそうだなと思えるイメラの顔を見て、哂う。
馬鹿な子供だ。
そして、なんて愚かなんだろう。
イメラは満面の笑みで広野を歩いていく。ただまっすぐにロイの後ろをついていく。
──最初にイメラが気がついたのは、ロイが“境界線”だと思う場所を越えて数分が経った頃だった。それは広野に時々思い出したように広がる森林の一つを抜けた先にあった。青々としていた森林が鬱蒼としたように感じられる場所を越えたとき、それは姿を見せ始める。
一本一本と木が減っていく。草が消え始める。地面が汚れていると感じ始める。
「ここは……?」
木で作られた簡素な標識が地面に転がっている。誰にいわれるでもなく、イメラはおぼつかない足取りで標識を手に取る。無残なソレは故意に壊されていた。掠れた文字が目に見える。
←ツダ
ラディアドル城→
ラディアドルという文字に少なからずイメラの心が震える。今朝方見たばかりの夢が鮮やかに脳裏を過ぎった。
「「イグ、愛し子よ」」
向けられる笑顔。触れる体温。
私を見ない視線。
標識を持つ手が震え始める。そんなイメラをロイは冷めた目で見下ろしていた。
これが何も知らない笑ってばかりの女。王族。
──俺の世界をこんな世界に貶めた王族の女……!
いまではなんの不思議もなく村に溶け込んでいるが、ロイにとってはどんなに日が経って慣れが生じようとイメラは異質な存在だった。その形、その力、その身分、すべてが異質だ。もっとも、村の人間はイメラの正体を知らないからこそいまの現状なのかもしれない。それでも最近の現状にロイは苛立ちを少しずつ覚えていた。あんまりにも受け入れられて笑っているイメラを見ると──どうしようもないぐらいに暗い感情がこういうのだ。
お前も思い知ればいい、と。
だのに脳裏を過ぎるのは今見る顔ではなく「ご飯よ!」と笑うイメラの顔──馬鹿馬鹿しい。
「立てよ」
「ロ、イ」
掠れた声が後ろから聞こえる。構わず前に進んだ。
「これ、なん、て、こと……」
壊された。
文字通りの有様を見たのはつい最近だった。かつて訪れた時には小さいながらも活気あるディバルンバのようなツダの村。それがいまやただの廃墟と化していて、もう、輝きなんてなにも見えない。ショックだった。イメラのように言葉も失ったし、またかと打ちのめされた。
だがそんな気持ちはすぐに消えた。代わりに胸を過ぎるのはディバルンバの村人のこと。大切な村が次こんな目にあうのかもしれない。
そんなこと、許さない。
許しはしない。
「……お前が行こうとしていた村だったところだ。もう跡形もないだろ?これがこの世界では当たり前だ」
「こんなの、こんなのおかしいじゃないっ!」
いまにも涙をこぼさんばかりのイメラが頭を振りながら叫ぶ。
まるで悲鳴さながらの声にロイは少なからず思ってしまう。ざまあみろ、と。
「こんな酷いことが!!!……ああっ!」
イメラがロイの横を通り過ぎて横たわるソレに近づく──もう命のない人間。そこらじゅうに横たわっていた。イメラがなにか呟き始めると同時に淡い緑の光が辺りに漂う。治癒魔法。狭い領域でしか行えないはずの治癒魔法を、今まで見てきたなかで一番強力でありながら更に倍はある範囲にかけていくのを見て、改めてイメラの常軌を逸した魔力を感じる。
だが、それを持ってしても状況は変わらない。
死んだものは生き返らないのだ。
「ああ、あ゛…」
その手に抱くは子供か、小さな体が覗き見える。きっと生きていた頃はここら辺りを走り回っていたんだろうに。
悲しみに泣くイメラを見て、当初の目的は達成したことを知る。
美しくもある世界の、もう一つの姿。笑うイメラの下に築きあるもの──思い知らせてやりたかった。
それなのに、いまもなお脳裏にちらつく嬉しそうに笑う“普段”のイメラの笑う顔が、ロイの口を動かす。
「お前が道になんて迷わずにツダにたどり着いていたなら、その子供は死ななかったかもしれないな」
「え……?」
涙で塗れた頬を照らしながらイメラが顔を上げる。大きく見開き濡れた目を綺麗だと思った。赤く塗れた服を纏う彼女も、綺麗だ。
「調べたところココには軍隊が来ていたって話だ」
「ぐん、た、い」
「お前の家を守る連中だ、分かるだろ?」
残酷な言葉は確実にイメラの心をえぐって、傷を作る。
「なんていったって国直属の軍隊だ。それがなんの変哲もない村に来たらどうなると思う?他の場所に住む人間はなにがあったのかって訝しむものさ。なにをしでかしたんだって、な。武装した軍隊が村を片っ端から調べ上げるんだ。しょうがないな。……そこいらにいる裏の連中だって目をつける。もしやなにか金が動いているかもしれない。金目のものがあるやもしれないって」
足元に人間の手が転がっているのが見えた。危うく踏みそうになる。
移動しながら、ツダの村の奥深くにいるイメラの隣に足を進めた。
時の止まった場所。
太陽が、ひどく眩しい。
「私が、わた、しの!せ、い」
打ちのめされただろう掠れた声に微笑みかける。指通りのいい髪を弄びながら頭を撫でた。
「イメラ」
自分でも驚くぐらいに穏やかな声だった。
心のどこかでもういいだろうと言う声がある。だが口は止まらない。
泣き続けるイメラが俺を見上げる。
枯れた血の色をつけた手。
──もっと思い知ればいい。
小さな手を握って、その手より更に小さな手をもつ身体に押し付ける。
「もう、やめ、て」
心臓がある場所はもう音も鳴らさず動きはしていない。
この子供は胸を一突きに刺し殺されたらしい。覗き見える内臓には肉を求めた存在が姿を見せていて、手にはぬるりとした感触。
直に感じる死はとても残酷だ。
人形のように動かないイメラは人形じゃない証とばかりに涙を流し続ける。雫は亡骸にボタボタ、ボタボタ。
「これが現実だよ、イメラ」
感情のないロイの言葉が静かに響いた瞬間、イメラは目を閉じてその場に崩れ落ちた。
暗い世界でなにを思うのだろう。
ロイは腕にイメラを抱きながら、哂った。
助けてくれよ。
その頬には一線の涙が跡を残していた。
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