【途切れた物語】03
「素敵ね……あ、あそこに川があるじゃない。洗濯もしやすそうで住み心地がよさそうね!」
「まあ、結構いいぜって違う!なに言ってるんだ?!」
「なによさっきから五月蝿い人ね」
「~っ!ここに住むって、なにを世迷言言ってるんだっ」
「そうよ、ここに住むわ!村長さんってどこかしら?」
頭を抱え込む男と違い、女は楽しそうな顔をして辺りを見渡す。女の目にたくさんの顔が見える。ディバルンバに住む村人たちだ。言い争いをしている2人に興味を持ったのだろう。なにせ1人はよく知る男だが、もう1人は見慣れぬ絶世の美女だ。みな驚きに目を丸くし、女を見ている。それは慣れたものだったが女は不安を隠しながらじいっと様子を見てくる村人たちの顔を眺めていく。
不思議そうな顔、驚きに言葉を失った顔、興味津々に緩んだ顔、警戒した顔──女は安堵した。同時に嬉しさを覚えて微笑む。
真正面から女の笑みを見てしまった小さな男の子は顔を真っ赤にして家へと入ってしまった。
「おい。住むって、ここでか」
「そうよ。私、家がないのよね。だから住む場所を探してて……ここは理想的なところだわ」
「理想的、な」
「なによ」
女の言葉に男は鼻で笑った。が、男はその意味を答えることはない。女は不満そうに男を見るも、答えを諦めて伸びをする。天に伸ばされた白い腕が金の髪に絡まって輝く。波打つ綺麗な髪を眺めながら、男は眉をひそめた。あまりにも綺麗過ぎる髪。
「ちょっと来い」
これ以上、というよりもう手遅れだろうが騒ぎが大きくならないうちに男は場所を移動することにした。声をかけようにもかけれず口をへの字にする村人に男は困ったように眉を下げて歩き出す。女はしっかりと男の後ろについてきている。男はこめかみを抑えながら思案した。
──この村に住む?この女が?連れ去って売ってやろうとしていた俺の紹介で?
「あ、そうだった」
女が思い出したと小さく叫ぶ。男は鬱憤を吐き出すように大きな溜息を吐いて振り返る。そして自分を見る女の美しさにひるみつつも負けるかとばかりに見返した。
けれど、女の言葉にいつも男は平静を崩される。
「あなた名前はなんと仰るのかしら?」
にっこり笑う女は無邪気な子供のようで、余計に頭痛がする。
確かに名前を言い合ってもおかしくはない。だが、今更な気がしないでもない。そう考えるも男は目の前の女にそれを求めても無駄な気がして、素直に答えた。
「ロイ」
「ロイね。で?ロイなんていうのかしら?姓は?」
女の言葉に男は自嘲気味に笑う。そして女を見下すようにして言った。
「本当になにも知らないんだなお嬢様は。下民に姓はないんだよ?名しかないんだ」
──この国では、階級が存在している。
王族、貴族、平民、下民。
王族が階級で上位に位置し、下民が階級で下位に位置する。下民はいわれのないことで差別を受けることも多々あり、待遇も良くはなかった。そのため盗賊や犯罪者になるのは下民が多く、また、そのために下民は更に待遇を良しとされなくなる。
自分が下民だと言った男ロイは、下民ではないだろう目の前の女を、暗い瞳で見下ろしている。
手入れされた綺麗な髪、日焼けのない白い肌、傷がないどころか潤いさらさらな皮膚、血色のいい頬。どこをどう見ても健康体で、大切に育て上げられた女だった。自分とはまるで違う女。
怒鳴りあっているときとは違うドロリとした険悪な雰囲気が辺りを包む。しかしロイと違って女は穏やかな表情を変えることなく、ただ、ロイを見上げていた。その目はなにか観察しているようで、ロイは舌打ちをする。
「で?お嬢様は人に名乗ることをしないのか?それとも下民には名乗らないってか」
それならやはりこの女も上流階級の人間だったということだろう。
ロイは心の中でそう思いながらも、少し、残念に思う自分がいることに気がついた。
この女は違うんじゃないかと、そんな“普通”ではないんじゃないのかと、そう思った自分がいたのだ。
「……ごめんなさい。驚いてしまって。私の名前はイグリティアラ=メルビグダ=ラディアドルよ」
「……」
「ロイ?」
けれど、女は確かに普通ではなかった。
「イグリティアラ=メルビグダ=ラディアドル?」
男は一度聞いただけでは到底言えそうもない長い名前を一度も噛まずに空で言ってのける。それはある意味、当然のことであった。
その顔は驚愕に包まれている。
「そうよ?長ったらしいわよねえ。ね、どうやったら短くできるかしら?いい案ない?」
普通ではない。
なぜ、女はこんなにも平然としているのか。いや、その前になんでここにいるのか。ありえない。
「っ!お前!!来い!!!」
「なによ」
ロイは女の腕を引っ張って更に人の数の少ない場所へと移動する。そんなに距離もなくすぐに着けたというのに、男は何キロの道のりを走ったかのように息が荒かった。
そして足を止めた瞬間、女に向き直り叫んだ。
「お前みたいな奴がなんでここにいるんだっ!?ここでなにをしてる!?“王族”だろう!“三つ名”が証拠だ。嘘は聞かない!」
男の言葉は厳しく、そして冷たい。対して女の声は柔らかく、明るい。
「そうよ?王族だわ。王族、よ」
「国でも捨てたか?なぜここにいる」
一つ名は下民のみ。二つ名は貴族と平民に授けられる。そして三つ名は、王族のみが名乗ることを許される。三つ目の名は、国の名前。女が名乗った名前が確かならば、目の前の女はこの国、ラディアドルの王族なのだ。
だが、不思議に思う。ロイは今まで生きてきた最中王族を見ることはあったが、目の前の女を見たことはなかった。一度見れば忘れることはない容姿だ。間違いない。
といってもそもそも王族は民の前に姿を現すことが少ない。民が王族を目にする機会といえば国が開催する祭りなど大きな行事ぐらいのものだ。
だからロイが今まで目の前の女を見ることがなかったとしても、おかしくはないだろう。
けれど、なぜここに王族だという女は目の前にいるのか。1人で誰も共をつけずに。そしてあろうことかこの村に住むとまで言っている。
もし、本当に国を捨てたのだというのならば。
「捨てた?そうじゃないわ。……だからそんな目で見ないでよ。殺されそうだわ」
「捨てたのだとしたらお前の存在はいらないだろう?なら殺すまでだ。……そうだったらだけどな」
ロイは吐き捨てるように言うと、ナイフを握っていた手を引っ込めた。だが、視線はまだ剣呑なままだ。
女はまた観察するようにロイを眺めていた。
なんだ?
違和感を覚える視線にロイは眉を寄せる。まるで、初めて見たかのような、そんな女の顔。
「で、どうしてお前はここにいるんだ。お姫様よ」
ロイは近くにあった石に腰掛ける。
たったそれだけの動きをしただけだ。その間に視線を伏せたことも間違いない。けれど、ロイは理解ができなかった。女の雰囲気がガラリと変わった。なにを考えているのかなにも考えていないのか、女は無表情だった。
表情をなくした女は人間離れした美しさを持っていたこともあって、どこか生ける人形のようで……ロイは背筋に伝った汗に身震いした。
「世界を知るためよ」
そして得た答えは突拍子もないもので、ロイは言葉を失う。
「知るってどういうことだ」
「そのままよ。ロイが感づいているようにおかしいのでしょう?私の存在は。ここにいること自体も」
「ああ。王族が外をうろつくなんてありえないからな。それに、お前を俺は見たことが無い」
「「……」」
視線が、絡む。お互いが探るように、観察するように。
なぜかその最中、ロイは感じた。
聞けばもう後には戻れないのではないのかと、聞かなければよかったと思うのではないのかと。
だが、聞いてしまった。
「私はなにがおかしいかも知らない。知らされてない。知っていた世界は城と呼ばれる家だけよ。私は存在を隠されて育てられてきたわ」
一般に聞く、蝶よ花よと育てられる温室の女とは違う。温かに見守られ、大事に保護される王族でもない。
どちらかといえば暗い足音が忍び寄るかのような。
「名目はいつかどこかの国の男のもとへと嫁ぐために最良の妻として育てるため。けれど実際は、この力のため」
そう言った瞬間、女の周囲にのみ突風が吹く。ロイは女が空に掲げた手の平に“風”を見た。小さなボール状の形になって渦巻き小さく唸るソレはたしかに風。女が風に向かって微笑みかけると、風が吹き荒れ、女の身体が浮く。金色の髪がふわり漂って、ロイには女に金色の翼が生えたように見えた。
その姿はあまりにも──
宙に浮いていた女はロイのすぐ前で降りた。視線が、合う。ごくりと喉を鳴らしながら、ロイは理解した。
女の言う力とは、このありえない魔力のこと。
ならばこの魔力を王族はなにかしらに活用しようとしていたのか。
「あの人たちが言うには“加護”だけれど。あの人たちは私がこれほどの魔力を持っていることを知らないわ。なにかしらあったときに魔法で回避していたらいつしかそう言われるようになっただけ。加護の恩恵にあやかるために、私になにも知識を与えず部屋に閉じ込めて逃がさないようにしていたわね」
馬鹿だったわ、そう呟く女の言葉をロイは理解することはなかったが、女が加護を嫌っていることは理解した。
「私はこの世界のことを知らないの。なにも知らない。さっきロイが自嘲するように言った下民の意味でさえ知らない物知らずなのよ。王族も、平民も、貴族も、下民もなにも知らない。……それじゃ、駄目だわ。知識がなければ私はいつかこの力で過ちを犯してしまう。知らなかっただなんて通じないわ。私は自分の目でこの世界を見てこの力を使いたい。……王族は、そのためにあるのでしょう?」
「は?」
「王族は人のためにあると……父上から聞いたわ」
そしてその王族である“父上”は娘を閉じ込めたのか?人のために?
その疑問が女にも伝わったのであろう。だが、女はロイが求める答えを言おうとはしなかった。
「通す意志もなくなにも知らないままで、言われるがまま動くのは嫌なのよ。この力が人に使えるのならその人たちのことを知らなければならないわ。求めるものが一体なにか、知りたいのよ。人から聞いたものなど必要ないわ。私が自分で知って自分で、この力を使うのよ」
ロイは目を見開きながら、女を眺める。
己の手をもう片方で握り唇を噛み締めるその姿は、物事が思い通りにいかない子供のようだった。そういえば、女は確かに美しいが幼さが見える。
「お前、何歳だ?」
「え?」
先ほどの剣呑さとは違い、穏やかな瞳で尋ねてくるロイに女は目を見開く。
それはそこら辺りで騒いでいる女の子たちとまるで同じ表情で。なにを今までこの少女に対して自分は一線を引いていたのだと、ロイは思う。
「19よ」
「19、か。まだまだガキじゃねえか」
「なによ。ロイは」
女はムッとした顔をしながらロイを睨む。ロイはそんな女を見て楽しそうに笑いながら、黒く焼けた腕を伸ばし女の頭を無造作に撫でる。
「27歳だよ。お嬢ちゃん」
「なっ!なによ、子供扱いして!あなたそんな顔で27歳なわけ!?威厳がないわよ、微塵も無いじゃない!」
「はいはい、お子様は黙ってな」
もし女に尻尾がついていたとするならば威嚇するように立っただろうほどに怒る女を、いや、少女を見てロイはなおも笑う。少女がじっとロイの顔を見ていたことに気がつかないほどに笑っていた。
「イメラ」
「……え?」
ロイの突然の言葉に少女は首を傾げる。が、ロイは気にも留めないように立ち上がりまた同じことを言う。今度は少女に指をさして。
「イメラだ」
「わた、し?」
「そう。ここに限らず王族の名前を言うのは避けておけ。それにちょうどいいだろ?名前短くしたいって言ってたことだしな」
「イメラ……」
少女、イメラはこれから何度も使うことになるだろう自分の名前を呟く。ロイはその姿にまた少女であることを認識して、幼いその姿を笑った。
「ほら、行くぞ。……村長に会うんだろ?紹介してやる」
ロイの言葉にイメラは驚いたような顔をしたあと、満面の笑みを浮かべる。
「ありがとうロイ!でもロイってセンスないわね!ただ頭文字とっただけじゃない!!」
「……」
感謝したようでけなしたイメラにロイは口元が引きつるのを感じたが、なんとか抑える。そして、村長の家とは反対の方向へと進むイメラの手を取ると笑みをたたえて言った。
「ようこそオルヴェンへ」
その笑みはこれからのことを想った楽しそうなもので、イメラはその理由が分からなかった。ロイ自信分かっていなかったのかもしれない。
城という檻から飛び出したイメラは、初めて世界を、オルヴェンの姿を見たのだった。
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